第二五話

 リッチェはすぐにその飛行の欠点に気がついた。
 ――扱いが難しい。
 正確には、回避行動が鈍くなってしまう。

 これまでは低速だった故に機敏な回避が出来ていた。
 しかしこれだけの推進力を得たのに対し、操舵に関しては低速の時のままだ。

 リッチェは再度襲来する怨人に対し早めに回避行動にでる。
 だが実際はそれでもギリギリだった。

 速度は上がった。でも避けられなくなりました――では意味がない。

 

 リッチェは怨人の襲来の隙を見て操舵に関する術式を強化する。

 

 

 その間にも速度が上がっていく。

 

 
 時速五〇〇ギルク三九二キロメートル

 

 時速八〇〇ギルク一〇二〇キロメートル

 

 そして、間もなく時速九五〇ギルク一二一〇キロメートルに達しようとしている。

 

 テサロの残してくれた魔法によって、生身のままでのその風圧等を受ける事はない。

 だが、リッチェは確かに軋むような感覚を覚えた。

 ――マズイ、もし風圧に対応する魔法防壁が崩れたら、それだけで命に関わる。

 そう理解していたリッチェは、全員の防衛網を強化する。

 

 だがそのわずかな思考が隙となった。

 

 後方より超高速の怨人が今にも追いつかんと迫っていた。

 股ぐらを開き、足先に付いた口が左右から襲い掛かる。

 それを下降し間一髪で避けたリッチェだったが、示し合わせたかのように小型の怨人が跳躍し襲来する。

 

 ――しまった!

 

 リッチェの脳裏にそんな叫びが過ぎると同時に、小型の怨人を魔法攻撃が襲った。

 

 その魔法攻撃は雷撃だったが、触れた直後に爆裂を引き起こし、跳躍を跳ね返すように吹き飛ばし肉が四散する。

 

 放ったのはヴァルルーツだ。

 

 先ほどミグが生成した魔法術式を用いた攻撃だが、規模が違った。
 爆裂そのものは変わらないが、連鎖的に炸裂しないようになっている。

 それはヴァルルーツなりに役に立とうとした証しだ。
 至誠の語る理論はヴァルルーツには皆目理解出来なかった。
 だがさらなる加速を得ようとしていたのは理解出来ていた。だがその場合に問題となるのは、超高速の怨人以外の個体だ。

 もともとリッチェが速度を上げないのも、怨人による正面衝突を避けるためだ。

 リッチェもミグも、加速で手一杯のはずだ。
 ならば、不測の事態には自分が対応するしかない。

 その理解は、先ほどミグが構築した魔法から連鎖を取り除き単体での運用に改良した事に繋がった。
 従来のままでは自分たちもその攻撃範囲内に入る可能性が高かったからだ。

 

 そしてその考えは、ここぞという場面で発揮された。

 

 もしヴァルルーツがいなければ、あらかじめ準備をしていなければ、小型の怨人に少なくとも一人は喰われていた。

 

「小さいのはこちらで処理します!」

 

 ヴァルルーツの宣言は、全員の士気を後押しする。

 誰一人として欠けていれば、状況は一変したはずだ。
 全員が自らの持ち味を生かせたからこそここまで来られたのだ、という強い結束感が生まれていた。

 眼下の土地は凹凸はあるものの、なだらかだ。靄もかき消え、視界は良好だ。

 ――間違いない!!!

 ヴァルルーツは心内で叫んだ。
 隆起した丘の奥から現れたのは、神託の地にある街なのだから。 

 

 ――あそこに着きさえすれば!

 リッチェはありったけのマナは内燃機構たる炎魔法に注がれる。
 空気の温度がさらに上昇することで、飛行速度もまた上昇する。

 この加速装置は非常に燃費が悪かった。
 なにせ継ぎ接ぎの術式で最適化されていない。
 そのため尋常ではないマナを吸われていく。
 
 それでも不浄の地を踏破する量はある。

 リッチェは膨大なマナを内包できる体に生んでくれたテサロに感謝しつつ、同時に必ず連れて帰るという気概をさらに強める。

 

 ――マッハ一よりもちょっと速い程度か。

 至誠は後方から猛追してくる超高速の怨人を見据え考える。

 こちらはソニックブームが起きていない。
 すなわち音速越えは達成されていないと言う事だ。

 先ほどの回避で一度あの怨人は旋回し、再度後方へ付けた。
 しかしその距離はなかなか縮まらない。

 それでも再三音速を超える際に発生する雲が見て取れるので、音速は超えている様子だ。
 すなわち「奴はギリギリ超えている」「こちらはギリギリ超えていない」と考えられた。

 目の前の街並みが急速に接近してくる。
 この分では次の襲来よりも街へ到着する方が速いだろう。

 

 ――問題は、この怨人が諦めてくれるのかどうかだ。

 

 諦めない場合は、依然その脅威にさらされ続ける事になる。
 この世界の都市防衛がどの程度機能しているか不明ではあるが、もしこの怨人よりも弱いならば自分たちは災厄を招き入れた事で悪者になるだろう。
 もしこの怨人を軽々倒せる戦力があるのであれば、むしろ自分たちも間違われて殺されかねないという懸念もある。

 追うのを諦めてくれれば、まだこちらに敵意がないことを示したり、街を迂回してもっと内陸へ直接進むことも視野に入れられる。

 

 そう、至誠は様々な状況を想定しつつ見下ろすと、明らかに変化があった。

 

 月光で判別は難しいが、眼下には草木らしき物体もわずかに散見される。
 そしてなにより、怨人がまるでいなくなっていた。
 後方から追いかけてくるのも、超高速の個体のみだ。

 ――あとはこいつを何とかすれば!

 至誠のそんな考えと時を同じくして、街の上空へ入ろうとしている。

 街を上から俯瞰すると、どうやら城塞都市の様相だとミグは気付いた。

 直後、魔法か鬼道による光の照射を受けた。
 少ししてけたたましい音が鳴り響く。まるで警報音だ。

 

 それとほぼ同時だった。
 リッチェは再び違和感を覚えた。
 先ほどよりも強く、風圧を防ぐ魔法防壁に歪みが生じた気がした――

 

 

 かと思っていると、ヒビが入り一気に防壁が崩壊する。

 

 ――しまった!!!

 

 その瞬間、リッチェと至誠の脳裏に過ぎった。

 

 リッチェは防壁の崩壊がこんなに短時間だとは考え至らなかった。生身で放り出されれば、命に関わる。

 唯一の救いは、個人個人にかけられた防壁を強化していた点だ。それが風圧による被害を食い止めたのは間違いない。

 

 それでも飛翔魔法は剥がれ、加速装置も維持出来なくなり、一行はバラバラに空中へ投げ出された。

 

 

 至誠は知っていたはずだ。音速を超える際に発生する衝撃は凄まじいと。

 なのにそこを軽視していたのは、怨人のソニックブームを魔法が防いでいた為だ。だから自分たちが音速に近づいても大丈夫だろうと、そう無意識に思い込んでいた。

 だがその後悔を感じる暇も無く、至誠は単身で空中へ放り出されると、徐々に重力に引っ張られ降下し始める。音速にも近い速度のまま。

 

 その衝撃のなかで、ヴァルルーツはテサロを離さなかった。
 テサロの体を任された以上、いかなる状況においても決して手放さないと屈強な意思が体を支配していた。

 

 その様子に気付き、リッチェは至誠を優先させる。
 狼人としての身体能力と魔法技術があれば、テサロを抱えた状態でも無事に着地出来るだろうと考えてのことだ。

 だが至誠は魔法も鬼道も使えない。

 ――助けなきゃ!!

 リッチェの頭にはそれしかなかった。
 彼は師匠の恩人であり、陛下の気に入った人物であり、そしてなにより自分に託された人物だからだ。

 

 だがその隙間に怨人が割って入る。

 

 

 その巨大な躯は一直線に至誠を補足し、今まさに喰らいつかんと口をひらく。

 

 至誠の体内にいたミグは鬼道陣を発動させると、自由落下へ干渉し、空中で方向を転換することで辛うじて怨人を回避した。

 

 だが怨人が飛び抜けた衝撃波によって、一行はさらに散り散りに吹き飛ばされ離れていく。

 

 怨人は機首を持ち上げ、その体躯を急上昇させると、再び至誠めがけ急降下してくる。

 

 だがこのままでは怨人よりも落下による地面への激突が先だ。

 

 視界にはイタリアの観光地のような色鮮やかな屋根と白い壁、石畳が特徴の光景が迫り――

 

 視界が真っ赤に染まったレッドアウトしたかと思うと、至誠は意識を失った。

第二四話

 ヴァルルーツはミグが流血鬼であることを知っていた。
 彼女らを皇国で迎え入れた際に目にしており、かつその種族が鬼人系統に属している種族である事を聞き及んでいた。

 すなわち、最も魔法を苦手とする鬼人系統種だ。

 そんな彼女が魔法の術式を準備するという言葉に、耳を疑いかけた。

 

 それでも、そう断言できる彼女を信じるしか道はなかった。

 

 

 ミグはテサロの体に侵入し、体内から鬼道を用い治療を行っていた。

 それとは別に、本来の流血鬼の特性として、侵入した対象の体を操ることが出来る。その力でミグはテサロの腕を操ると、手の平の上に術式を構築する。

 マナを流し込まなければ発動しない状態で留めている。

 テサロのマナはまだ残っている。
 しかしマナとエスは互いに打ち消し合う性質があり、テサロのマナを使うことで鬼道による治療が阻害される恐れがあった。
 故に、発動にはヴァルルーツのマナを必要とした。

 

『リッチェは回避を優先! 攻撃のタイミングに配慮しなくていい!』

 そう声を上げると同時にミグの術式は完成する。

 

 ヴァルルーツがそれを受け取ると、すぐに発動を開始する。

 

 ミグの構築した魔法は爆裂魔法だ。
 

 攻撃を放った後、接触によって爆裂を引き起こす。
 尋常ではないのは、その構造だ。

 幾重にも爆裂の術式をかみ合わせ、相乗的に威力を増す構造をしていた。

 術式を起動していたヴァルルーツはその構造に驚嘆を零す。
 魔法に適していないはずの種族が、自分よりも高度な魔法を構築出来る事実に対してだ。

 だが今は感動している場合でも、嫉妬している場合でもない。

 

 超高速の怨人は何度も幾重にも襲撃するが、それをリッチェは全てをかわしきる。

 遠距離攻撃もなく直線的な攻撃ばかりの怨人を、むしろ見切り始めていた。

 だが油断は大敵だ。

 見切ったと思わせて不意に行動パターンを変えるのは、戦いにおける定石の一つでもある。皆の命を背負って飛翔する以上、あらゆる慢心はふるい落とす。

 

 その間にヴァルルーツは魔法の準備を終えた。
 テサロのような熟練者ならば一瞬で収束が完了できるだろう。しかし残念ながらヴァルルーツはその領域にない。
 一分以上もかかり、その間にどれほどの襲来を回避したことか。

 

 だがそれもこれで最後だと、狙いを定める。

 

 この怨人にはいくつかの襲来パターンがある。

 

 背後から急加速し襲ってくる場合。
 上空から急降下して襲ってくる場合。
 前方から股ぐらを開き、足で挟み込むように襲ってくる場合。

 希に横や斜めから襲来することもあるが、基本はこの三つだ。

 そして狙うのは、背後につけこちらに狙いを定める――その瞬間だ。

 

 魔法を発動できる段階で待機している状態は、さらに周囲の怨人の襲来を招く。

 

 しかしリッチェはその全てを回避し――そして好機が到来した。

 

 ヴァルルーツの発動した魔法陣から、雷撃が怨人に向かって放たれる。

 

 超音速の怨人と超高速な雷撃によって両者の距離が瞬間的に縮まると、怨人の左足先に命中する。

 雷撃は足を伝い体躯に流れると、間髪を入れず爆裂を引き起こす。
 さらに爆裂が爆裂を誘い、引火するように相乗的に爆発が起こった。

 

「よし!」

 

 ヴァルルーツが喚声を上げる。
 だが――

 

 爆裂で発生した黒煙からその個体は飛び出してくる。皮膚はただれ肉がむき出しになっている箇所も多々ある。

 しかし速度は全く落ちていない。
 その口も、顔も、腕もまだ繋がっている。

 

 突進してくるその個体をリッチェは回避し、すれ違うその瞬間に、想定よりも遙かにダメージが通っていない事をミグは察知した。

 

『ダメか――』

 

 術式の精度が低い上に、使用できたマナが少ない。

 どちらの責任でもない。
 ただミグは次の一手を考える。考えなければならない。

 貫通力を生かした魔法を構築し直すか。あるいは斬撃。
 だがヴァルルーツのマナではせいぜいあと二回から三回の攻撃が限界であり、同程度の条件ではあの個体を抑えられない事が想像に難くない。

 ――自分が鬼道を用いて追撃するか?

 ミグにはあの個体を倒すだけの切り札があった。
 だがそれは最後の手段に取っておくべきだ。

 ミグの発動できる最大火力の鬼道は、魔法による飛行術式を相殺し墜落させる可能性が高く、そのうえテサロの治療に回せる余力がなくなる公算が高い。

 それらを鑑み、『全滅するよりは至誠だけでも生かすべき最悪の状況』まで行使は出来ないと判断する。

 ――リッチェを攻撃に回せれば良いが、その場合は誰が飛翔を請け負う?

 そんな思考の最中に声を上げたのは至誠だった。

 

「リッチェさん! こちらも音速を超えることはできませんか!? 毎時一二〇〇キロ一五〇〇ギルク以上です!」

 

 が伝わるか分からなかったので、至誠は時速も加えて問いかける。

 

「む、無理です! 私ではそんなに速くは――」

 

 返答の最中にも怨人は飛来し、それを何とか回避する。

 

「ミグさん! 魔法を放つ際の反動で加速する事は!?」

 

 ミグは、至誠の言わんとしている事が分かった。
 すなわち超高速の怨人よりも速度を出し振り切ろうとの考えだ。

 

 魔法は起点から外側へ向かう性質があり、鬼道は外側から起点に向かうという流れが原則性質だ。

 たとえば魔法での飛翔は、起点となる術式を対象の下と後方に配置し、外側へ向かう性質に乗せる要領だ。
 逆に鬼道では体の上と前方に起点となる術式を配置し、引っ張る要領で用いる。

 だがそれは、起点となる箇所そのものに推進力が得られる訳ではない。
 もし起点に反動があるようであれば、大がかりな術式を用いた際に術者が吹き飛ばされてしまうだろう。

 そして最大限の推進力を得られる術式こそが現在の飛翔魔法だ。

 テサロならまだしも、リッチェでは全速力でも現在の時速五〇〇ギルク三九二キロメートル程度が限界だ。
 そしてその速度の維持すら、この場において代役がいない。

 ミグの切り札を使えば、至誠の体を使った単体の飛行にてもっと速度を出すことが可能だろう。

 しかし、それでも至誠の言う速度には届かない。

 

『無理だ! 魔法には加速に使えるほどの反動はない!!』

 
 ――いいや出来るはずだ!
 ミグが体内から感じ取った至誠の感情はそんな否定的なものだった。

 

「さっきの攻撃もテサロさんも、爆発の魔法を使っていました! なら推進力を生み出すことだって出来るはずです!!」

 

 魔法鬼道の原則に則った思考をしていたミグは、至誠のような発想が頭に無かった。

 ――確かに、近くで爆発を起こせば吹き飛ばされるだろう。

 だがそれには致命的な問題がある。

 

『近くで爆発させたらこちらも怪我ではすまない!!』

「魔法で爆発の威力を閉じ込めることは出来ませんか!? 後方に逃げ道を作って、それで反力を得ます!」

『ダメだ! 爆発は一度じゃないんだろう!? そんな推進力を得られる爆発を連続して閉じ込めた防壁が壊れれば、巻き込まれて死ぬことになる!』

 

 自分たちには影響をなくしつつ、爆発による推進力を得るのは難しいのかもしれない――至誠はそう考え、考えを巡らせる。

 

「では空気の制御はどうでしょう!? 前方の空気を圧縮して後方に押し出します!」

 

 目を付けたのは、新幹線ほどの速度で飛行しているにも関わらず、風をほとんど感じないことだ。
 そしてそれがソニックブームすら防ぐことの出来る強固な魔法技術なのだと至誠は理解していた。

 ミグは至誠の案を理解していた。
 ――確かに空気を勢いよく後方へ押し出せば安全に推進力が得られるだろう。
 しかしこちらにも問題がある。

『それでは推進力は期待できない! 今の方が効率的だ!』

 

 ミグがそう判断したのは、それが今の飛翔術式が確立する前の、前時代的手法だったからだ。

 魔法や鬼道によって空気を押しだし飛翔する事は可能だ。
 問題は消費するマナやエスの量に対し、効果が著しく薄いことだ。

 

「それは何℃の話ですか!?」

『なん……度? なんだって?』

「空気の加熱です!」

『なぜ加熱を――』

 

 至誠は考える。

 魔法という未知の力は、日本で知り得る常識が通用しない。
 だが逆に、魔法があるからこそ科学的な分野の発展を阻害している可能性を至誠は考えた。

 先の天文学においてもそうだ。

 地球の大きさなんて紀元前のギリシャでも分かっていたことなのに、彼女らは知り得ていない様子だった。
 テサロは北極星について知っていたが、それ以上の天文知識が無かった。

 そして不浄の地においては、上空ほど高速の個体が跋扈しているらしい。

 そのために飛行技術についても、自分の知るような機構が発展していない。とするならば、ジェットエンジンのような内燃機関は確立されていないと見ていい。

「前方の空気を圧縮し後方へ放出します! その際に加熱させてから後方へ放出することは可能ですか?」

『加熱と言っても、君はどれほどの温度を考えているんだ!?』

「どのくらいの温度でどの程度の効果が出るかは僕にも分かりません! 考えてるのは五〇〇から一〇〇〇℃くらいです!」

『なっ……』

 

 ミグの浮かんでいた推察では熱風程度。
 一〇〇℃にも満たなかった。

 だが至誠はその十倍は考えているという。
 なぜそのような温度が必要なのかと問いかける前に、至誠が先に答えを告げる。

 

「空気は熱量に応じて膨張します! 今の体積を一としたら、二七三℃上昇する毎に倍になります! 五四六℃上昇で三倍です!」

 

 熱による空気の膨張――いや確かにミグの知識でも似たような知識はあった。
 だがなぜ二七三℃と分かるのか。
 いや、分かっているのか。

 ――同じだ。

 ミグは直感する。
 これも我々の知らない、至誠の叡智。至誠のいた時代の叡智だ。

 

「僕の時代ではこの原理を使って空を飛ぶ乗り物を作っていました! ミグさんもその光景を見たはずです!」

 

 大勢の人が乗り込み空を飛翔する乗り物――その原理を説明しているのだと理解した。

 

『……わかった! やってみよう!!』

 

 平時であれば、もっと議論を詰めて進めるべきだろう。
 しかし残念ながら、そんな余地はない。

 それでもミグが未知の概念を試すことを決定するのは、彼の言動に説得力があるからだ。

 力強く確信めいたその言葉は、差し迫った状況においてなお、希望を見せてくれる。

 そして事実、彼の導き出した論理が不浄の地の脱出に大きく貢献している。

 ミグはそこに、リネーシャ陛下に近しいカリスマ性を感じていた。

 

「まず考えを二段階に分けます! 前段として、前方の空気を取り込み、圧縮し後方へ放出します! これは問題ありませんか!?」

 

『それは、大丈夫!』
 

 鬼道の内側へ向かう性質に空気を乗せ、外へ逃げないよう術式を展開すればいい。

 

「圧縮することで空気の温度が上昇していますので、後段でさらに空気を加熱します! 炎の噴射でも爆発でも構いません。とにかく温度を上げてください! それを後方からのみ排出します! この時、排気口は小さいほど推進力が得られます!」

 

 取り込んだ空気を数倍の体積に拡張して押し出し、そのエネルギーによって推進力を得る。何という発想だ――ミグは至誠の世界に戦慄すら覚える。

 だが今すべきことは、彼の叡智を少しでも高精度で再現することだ。

 

『至誠、体を借りるよ!』

 

 そう宣言すると、体が己の意思に反して勝手に動き出す。
 と同時に、至誠の手の平や周囲に鬼道陣が出現したかと思うと、ミグはさらなる術式を足下に作っていく。

 

 鬼道による空気の圧縮。

 鬼道の基本は外から内へ向かう力だ。

 空気を大きな鬼道陣へ引き寄せると、その奥の一回り小さく引き寄せる力の強い陣へさらに引き寄せる。
 それを幾重にも繰り返し、小さく強力な陣へ集約させる。

 

『リッチェ! 杖を下向きにして!』

 

 リッチェは理解が及ばない表情だったが、躊躇なく指示に従った。
 この間にも怨人による襲撃が絶え間なく続いている。それを回避しつつの行動だったが、回避に影響は出なかった。

 リッチェの杖の先端が足下へ向けられると、ミグは再びテサロの体を使い魔法陣を構築する。

 その魔法術式は、炎を放出させる為のものだ。

 それ自体はリッチェの杖に組み込んであった火炎の魔法術式の流用だ。
 杖の術式を使わずとも構築は可能だが、すでに作ってある術式を流用することで時間を短縮させることが出来た。

 そして圧縮した空気を排出するすぐ後方に、炎の噴射術式を複数配置した。

 最後に空気の断絶を行う為の魔法術式を展開する。鬼道と魔法は直接触れあうと打ち消し合うので、魔法陣で形作る隔壁と鬼道陣は触れないように注意しなくてはならない。

 そして瓢箪ひょうたんのような空気の通り道が出来上がる。

 

 だが魔法の発動はまだだ。
 テサロの体で魔法を使うと治療術式が水の泡となる。

 

『リッチェ! 魔法術式を継承させる! タイミングを教えて!』

「はい!」

 二度の襲来を避けると、リッチェは声を上げる。

「今です!」

 

 襲来の隙を見て魔法を受け取ると、リッチェは魔法陣を発動させはじめる。

 

『まずは外枠から! 内部の術式はこっちと合わせて!』

「はい!」

 

 再三の襲来を避け、外殻となる魔法が構築される。

 

『次にあの怨人が後方から襲ってきたら、回避した直後に発動させるよ!』

 

 ミグの宣言後、すぐに怨人は後方から飛来する。

 それを回避し、リッチェは内部の火炎魔法を発動させる。
 同時にミグも至誠の体内から鬼道陣を発動させた。

 

 空気が取り込まれ始める。

 

 徐々に鬼道陣による空気の取り込み出力が向上していく。

 

 それに伴い、後方から排出される空気圧も勢いを増すと同時に圧縮された空気そのものが熱を帯びる。

 

 高温高圧で排出された空気は炎の魔法でさらに加熱され、急激に膨張した空気が、唯一の排気口である後方から我先にと飛び出していく。

 

「なっ、なにこれ……!」

 

 その加速装置はリッチェの杖の先端で構築されていた。
 杖から伝わる徐々に速度の上がっていく感覚に、リッチェは動揺にも似た言葉を漏らす。

 

 そして、飛翔は加速する。

第二三話

 静寂が闇夜に響く。

 そろそろか――至誠は月の高度差から、まもなく転進する予定の三時間が経過する頃だと推測する。

 

 きわどい場面はあったが、結果から言えばこれまでの飛行は順調だ。

 

 それでなくとも、三時間ものあいだ気を張り続けなくてはならないのは精神を疲弊させる。特に舵取りを行うリッチェの負担は膨大だ。
 だからといって休憩を取る場所もなければ、気分転換を行う余裕もない。

 ――でも怨人の数は減ってきている気がする。

 改めて周囲を見渡してみるが、大型の個体は数えるほどしか残っていない。

 

 不浄の奥地の方が巨大な怨人が多いとテサロは言っていた。
 すなわち大型怨人が減るということは、不浄の地を抜けつつあると考えられ、至誠の提唱した方針に間違いがなかったのだと、精神的に大きく後押しをしている。

 一方で問題もある。

 周囲にいる怨人の体が小さくなった分、速度や跳躍力を増した個体が増えた事だ。
 さらに目視による発見の難易度が上がることは、精神的負担が極めて増大する。

 

 もう一つ精神的に辛い事がある。

 

 怨人はこちらを一度補足すると、なかなか追ってくるのを諦めない。
 鈍足の怨人はすぐに引き離せるが、同程度の速度が出せる個体は延々と追いかけてきている。

 後方にいる大型の怨人の大半が、その追尾組だ。

 空中に居る個体はまだ比較しやすいが、地上を猛追してくる個体は土煙と闇夜でその全容すら分からない。

 

 ただ少なくとも、自分たち以上の速度が出せる個体に未だ出会っていないのは不幸中の幸いだ。

 

「ミグさん、話しかけても大丈夫ですか?」

『うん、いいよ』

 

 その声は疲労を含んでいた。

 三時間も連続して治療を続けていれば疲れもするだろう。
 至誠には分からないが、鬼道にもエスと呼ばれる体内エネルギーが必要だと言っていた。

 

 それでも、確認しておかなければならないと思い、言葉を続ける。

 

「このまま神託の地に逃げ込んだ場合、後ろの怨人はどうなりますか? そのまま追いかけてきたりしませんか?」

 

 どう答えた者か悩ましい――と言いたげな間を開けつつも、ミグは答えてくれる。

 

『どうなるかは分からない。けど、怨人は神託の地を嫌がっているようだから、大半は追ってくるのを諦めるはずだよ』

「諦めない場合もあるって事ですか?」

『希にある。でも神託の地領内なら、殺しても集まってこないから大丈夫だといわれてるよ。追ってきても少数なはずだから、なんとか――』

 

 ミグが説明を止める。
 別の何かに気を取られた為にフェードアウトしたようだ。

 それがこの状況下で良くないことであると想像に難くない。

 

『マズイ!!! 高高度から急降下してくる!!!』

 

 引き寄せられるように全員の視線が上空へ向くが、周囲には数体の怨人が浮遊している。しかしその動きは鈍重で追いつける気配がない。

 ミグの次にその個体に気付いたのはリッチェだった。
 疲弊していたが、研ぎ澄まされた感覚がを補足する。

 はじめは満月の中に浮かぶ極小の影だった。
 だがそれは、またたく間に影は肥大化していく。

 

 リッチェは危険が増すのを承知で飛翔速度を向上させた。
 そうしなくてはならないと直感がよぎるほど、その個体は超高速で降下してきていたからだ。

 

 周囲の飛行する怨人を気球と例えるなら、まさに飛行機だ――至誠がそう考えている間にその高速個体は頭上に差し迫っていた。

 

 高速の怨人は、飛翔する一行に襲いかかる。
 まるで湖面に映る魚を捕らえた鳥の様に、その足裏に付いた巨大な口を開く。

 

 リッチェは急減速させ、身を翻す。

 

 直後、目の前を怨人が飛び抜けた。
 急降下し勢い余った怨人は地上へ衝突――するかに思われたが、地上間際で機首を上げると再び高度を取り始める。

 

 と、同時に、凄まじい衝撃波と空気を切り裂く轟音が一行を襲う。

 

 ――ソニックブーム!?

 

 その衝撃自体は、すでに展開している魔法によって被害はなかった。生身で飛翔していても風をほとんど感じないのはその魔法の効果だ。

 だがその衝撃波を受けた影響で、全体の高度が下がった。
 数十メートルは降下させられると、その瞬間に地上から数体の怨人が跳躍して襲いかかってきた。

 リッチェは杖先から魔法防壁を発動させると、怨人との間へ滑り込ませる。

 

 その防壁はわずかな時間で破られたが、その間に飛翔を立て直すこと出来た。

 

 

 高高度から飛来した怨人は、仰向けになっていた一〇メートル大の女性の体だ。
 胴体には人と同じ形状の胸部と腹部、脚部があり、飛行する前方へ足を突き出している。その両足の裏に巨大な口が一つずつ。

 肩からは翼のように腕が生えているが、その腕は胴体に比べて大きく長く平べったい。その全長は胴体の三倍以上はある様相だ。

 首から上がなく、代わりに乳房があるべき部位に頭部が生えている。それは人と同じ配置の顔だ。目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。毛はない。その部位だけを見れば、中年男性の様相だ。それ片乳房ごとに違った容姿をしている。

 双頭は常にこちらへ視線を向け、視線を逸らすどころかまばたき一つしない。

 

 至誠はその速さを飛行機だとイメージしたが、その認識は誤りだった。
 あれはジェット戦闘機の方が近い。

 今の襲撃では、明らかに音が遅れてやってきた。

 つまりあの個体は事になる。
 そんな個体がうじゃうじゃいるのであれば、ミグが高度を取ることに反対したのも頷ける。

 

 超音速の怨人は、その速度のため大きく旋回していた。

 しかしリッチェが体勢を立て直す間に背後につけると、衝撃波を可視化させながら急加速し突進してきた。 
 一瞬見えたそれは、低空で音速を超える際に生じる円形の雲だと至誠は直感した。

 

 リッチェはその機動力を生かし、直進してくる怨人を回避する。

 

 直後、先ほどと同じように強い衝撃波が襲い、同時に何かが炸裂した音が耳に付く。

 

 至誠はそれが音速を超える際に発生する音ソニックブームだと確信した。
 それも高高度からの急降下による加速ではない。あの個体は、で音速を超える力を持っている。

 

 ――マズイ。これではレシプロ機とジェット戦闘機だ。

 

 加えて、超音速の個体が現れたからと言って周囲の別個体が待ってくれるはずもない。
 小型の怨人は衝撃波で吹き飛ばされることがあっても、あらかじめ勘定に入れることなど出来るはずがない。

 

 リッチェは細かく方向転換を繰り返しながら不規則な回避運動をとり続ける。

 

 

 その最中、ヴァルルーツは何も出来ない自分が悔しかった。
 それでも今はテサロという英傑をその腕に抱えている。
 
 だが他にも今はやることはある。
 あの超高速の怨人は確かに脅威だ。だがそこに気を取られて、周囲の怨人に不意を突かれては元も子もない。

 リッチェは回避に専念しているだろう。

 ならば、わずかでも自分が索敵を補うのだと、周囲に目を配った。
 もしも跳躍してきた怨人に彼女リッチェが気付いていなければ、即座に教える必要がある。

 ヴァルルーツは全神経を周囲へ向ける。
 その途中で、地平線近くのある雲に視線が固定された。

 雲が光を反射している。

 月光ではない。

 

 ヴァルルーツにはそれが、地上の人工的な光だと直感が訴えた。

 

「至誠殿!!!」

 

 ヴァルルーツの尋常ならざる声に、至誠は即座に視線を向ける。

 

「あそこに見えるのは街の灯火ともしびでは!!?」

 両腕でテサロを抱えるヴァルルーツは指先で方角を示せず、顔先を向ける。

 至誠がその意味するところを察し、視線を向けると、確かに雲から薄らと光が漏れている様が見て取れた。

 

 夜空から方角を確認する。
 ――北東。
 当初の理論が間違っていなかったならば、そこに見えるのは街の光である可能性が極めて高い。

 

 至誠もその希望を直感する。

 

 だが現在地から地平線近くの灯火までどれほど距離があるか分からない。
 平時であれば高度から地平線の距離を算出する事も考えられたかもしれない。
 だが襲い来る超音速の怨人によって、そのような余裕は全くない。

 今できる事と言えば、可及的速やかにそこへ向かうことだ。

 至誠はリッチェへ指示を飛ばす。

 

「あの光の方へ向かいましょう!!!」

 

 リッチェはその光景を一瞥すると、周囲の怨人の様子をうかがう。

 

 三度みたび怨人の襲来を回避すると、飛翔は転進し、北東方面へ舵を切った。

 音速越えの怨人は垂直上昇を行うと、一転、体を捻り体勢を反転させると急降下してくる。

 それを減速しながら右へ回避すると、その前方から跳躍してくる怨人が現れ、さらに進行方向が右へ傾く。

 

 北東方面へ調整しようとすると、超高速の怨人が再び襲来する。

 

 リッチェはそれをも回避するが、この個体がいる限り蛇行するように回避し続けなければならない。

 そのうえ一度でも回避を失敗することは、全員の死を意味する。

 

「攻撃しましょう!!」

 

 至誠の提案する意図は明確だった。
 たとえ攻撃によってさらなる怨人の襲来が発生したとしても、この超高速の個体がいなくなれば状況は今よりずっと好転する。

 

『分かった! リッチェは回避に集中して!』

 

 補足するようにミグも声を荒らげる。

 

『気を抜いたら一発でもってかれる! 攻撃はこちらで担当するよ!!』

「はい!」

 

 リッチェの返答を受け、ミグはヴァルルーツに声をかける。

 

『王子! あの個体に効く魔法は何かない!?』

「い、いえ! 私は近距離の術式構成で――出来たとしても中距離です!」

『分かった! 術式はこちらで準備する。マナと狙撃の準備を!!』

第二二話

 直後、一体の怨人が上空から飛来していることにリッチェは気付いた。
 精神的な緩急は激しかった事、術式を受け取った直後である事、編隊の調整に意識が取られていた事が重なり、完全にその個体を見落としていた。

 

 直径三〇メートル程度の肉塊だと思われたそれは、重力によって加速し一行の頭上まで急接近すると、折りたたんでいた手の平を広げる。
 まるで雪花のように六つの手の平が広げられ、その手の平と甲には巨大な眼球が露出している。手首の結合部分には巨大な口が付属していた。
 まるで網のように広がる怨人は直径は一〇〇メートルにも及ぶ勢いだ。

 

 そしてなおも一行を逃がすまいと降下している。

 ――マズイ!

 リッチェの脳裏にそんな感情が溢れた。 
 飛来する肉塊の大きさなら、気付いた段階では避けられる算段だった。だがそれがこれほど大きく変形するとは想定していなかった。

 

 リッチェの脳裏に最悪の光景が過ぎる最中、魔法術式は瞬く間に構築されると、瞬間的に収束し、背後から放たれた。
 その攻撃はその怨人の一翼を吹き飛ばし襲撃網に穴を開ける。

 リッチェが振り返ると、虚ろな瞳で魔法を放ったテサロの姿があった。

 

「しっか……と、前を……さい」

 

 テサロは叱責の言葉もままならず、ゆっくりと瞳は閉じられる。
 ヴァルルーツに抱えられた体は力なく横になり、先ほどまで魔法を行使していた腕は垂れ下がっていた。

 

『大丈夫、気を失っただけだよ』

 

 嫌な想像が脳裏を過ぎった。
 しかし先回その思考に先手を打ち教えてくれるミグによって、リッチェの動揺は安堵に変わる。

 

『でもこれ以上援護は出来ない。注意して』

 

 事実、あの魔法がなければ危なかった。
 そしてそれが自分の未熟さ故だと痛感している。

 そして次がないことも。

 リッチェは肝に銘じ、いっそう気を引き締める。

 

「少し西にずれています。修正しましょう」

 

 周囲に今すぐ脅威となる怨人が見当たらないことを確認し、至誠は声をかける。

 方向がずれたのは今の襲撃の結果だが、その事にリッチェは気付いていなかった。そもそも現在の方角が分からない。

 

「あの星が北極星です。あれを基準にしてください」

 

 至誠は北極星を指さし、方角を示す。
 それにより北がどちらかは分かったが、リッチェに星の違いがほとんど分からない。

 狼狽えた言葉をもらしていると、至誠はリッチェの手を引き寄せ体を近づける。

 

「あれです。あの一番光ってるやつ」

 

 視線に合わせて指し示してもらうことで、ようやく北極星を理解した。

 

「また分からなくなったら言って下さい」

 

 至誠はリッチェの体からは離れつつ、それと――と、問いかける。

 

「今どのくらいの速度が出ているか分かりますか?」

 

 リッチェは新たに魔法陣を展開させると、すぐに結果を伝える。

 

「えっと……一〇〇ルク七八メートル毎秒くらいです」

 

 秒速七八メートル。
 分速四六八〇メートル。
 時速約二八〇キロメートル。

 すなわち、新幹線と同程度だとイメージする。

 これなら一〇〇〇キロメートルの道のりだと約三時間半で踏破できる計算だ。

 

 しかし懸念がある。

 

 真北へ北上すれば、計算上は神託の地の西端をかすめる。
 しかしそれは経度の計算が正しかったときの場合だ。

 観測誤差が一度毎に一一一キロメートル変わる事になる。

 現在はやや東寄りの北――北微東から北北東方面を目指している。その角度はおおよそ東へ一〇度程度だ。

 正接タンジェント一〇度の値は覚えて居らず、関数電卓もスマホもない現状では計算が出来ない。

 だがもし、三〇度東へ向かわなければならない程西にずれていた場合は面倒なことになる。

 仮に、一〇〇〇キロメートル北上するのと、三〇度東へ進む場合の直線距離を計算してみる。

 正接タンジェント三〇度は、ルート三分の一。

 ルート三は一.七三二〇五〇八人並みにおごれや

 暗算しやすいように小数点第二未満を切り捨ての一.七三とする。

 そこから一割ることの一.七三で、およそ〇.五七八。

 これを一〇〇〇倍すると五七八。

 

 すなわち北極星に対し三〇度東向きに進めば、五七八キロメートル東の地点に到達する。

 

 その方が確実に神託の地領内に到達出来るだろう。
 そしてその場合の直線距離は、三平方の定理を用いて約一一五五キロメートルだと分かる。

 

 差し引き一五五キロメートルを許容できるかが問題だ。

 

 何せ切羽詰まっている。一刻も早く不浄の地を脱出できるにこしたことはない。

 そもそも約一〇〇〇キロメートルという数字も不確定要素を多分に含んでいる。

 

 緯度も一度計り間違えている毎に一一一キロメートルの誤差だ。

 近くなるならいい。
 だが遠のく場合は、さらに正接三〇度分の直線距離が加算される。

 緯度が三度遠のいた場合を試算すると、一五〇〇キロメートルとなった。

 

 ――当初の一.五倍だ。

 

 その距離を時速二八〇キロメートルで飛行した場合、五時間二〇分ほどになる。

 さらに距離が離れていた場合はマズイ。

 日の出と共に北極星は見えなくなる。
 そうなれば太陽を基準に飛ばなくてはならなくなるが、長時間太陽を直視する事は避けたい。その点は魔法や鬼道で何とかなるかも知れないが、高度を計れるミグが治療で手が離せないかも知れない。

 そもそも一〇〇〇キロメートルも進めば天気も変わる事は十分にある。太陽が曇天に隠れていない保証はどこにもない。

 それに最終的には街明かりを探しだし、そこへ進行方向を修正するのが好ましい。だが昼になってしまうとそれも難しくなるだろう。 

 怨人の性質も不明瞭ばかりだ。もし昼夜で動きが変わるようなら不測の事態が発生しやすくなる。

 いや、そもそもの話、飛行は魔法で行っている。
 魔法にはマナが必要だと言っていた。
 そしてマナは体内で生成されるとも。

 つまりは有限だ。

 化け物の跋扈するこの地でいつまでも正常な精神状態でいられる保証はない。

 

 特に、当初の想定よりも飛行時間が長引けば、この理論の信頼性そのものが揺らぎ、精神的にも物理的にも空中分解しかねない。

 

 ――無駄な飛行は出来ない。

 

「リッチェさん、予定を修正します。真北に向かいましょう」

「えっ、は、はい!」

 

 そう声を上げる至誠の真意をリッチェは理解出来なかったが、唯一の道標である彼が言うのだからと肯定する。

 

「このまま飛行した場合、四時間弱で抜け出せると思いますが、計算の誤差を考慮して±一時間で想定しておいてください」

「わっ、分かりました!」

 

 飛行時間を多めに見積もった上で、前後することを予め伝えておく。それによって、不浄の地の脱出に手間取っても多少の精神的余裕が確保出来るだろう。

 そう考えての言葉に対し、リッチェは目を丸くする。

 

「どうしました?」

 

 自分の理論が間違っていただろうかと、至誠は首を傾げた。

 

「い、いえ。凄いと思いまして――」

「そんな事はないですよ。魔法が使える方がよっぽど凄いです」

 

 そう返すと、リッチェはわずかばかり頬を赤らめ視線を前へ戻す。

 

「ところで魔法にはマナが必要だったと思いますけど、五時間もの間飛ぶことについては大丈夫そうですか?」

「それは、はい。マナの生成速度と保有量には自信があります」

 術式構築はまだまだですが――と小声で自虐する様子が至誠の耳にも届いた。

「飛行速度はこれが限界なんですか?」

「いえ。もっと出すことはできます。ただ速度が上がるほど、回避に取れる猶予が減るので、私の実力ではこれくらいが最適だと思います」

 怨人は跳躍し襲ってくる固体もあれば、上空から飛来する固体も居る。
 特に地上から跳躍する固体は靄で隠れていることもあり、こちらの速度が上がるほど衝突の危険性が高まる。

 ――気付けば化け物の口の中なんて事態はお断りだ。

「高度をもっと上げるのはどうでしょう」

 現在は地上三百メートルほどを飛行している。
 せめて地上からの跳躍が届かない高さまで昇れれば精神的に楽になるだろう。

「そうですね――」

 リッチェはテサロから引き継いだのは飛翔魔法だけではない。
 その速度と高度もテサロと同じ状態を維持していた。
 それが最適なのだろうと無意識に判断していたが、高度を上げるべきかも知れないと考える。
 
 しかし、それをミグが否定する。

『いや――』

 

 ミグは治療の手を緩めながら、高度は取るべきではない理由について教えてくれる。

 

『怨人は棲む領域によって大まかな特徴がある。結論から言えば、高度を上げるほど素速い固体が増える。そうなると回避しても追いつかれるから攻撃しなくちゃならない』

 

 だが問題はそれだけでは無い。

 

『怨人は怨人以外の生物を感知して敵対行動をとる。けどそれは目視によることが判明している。けど魔法や鬼道は違う。大がかりな術式を使うほど、広範囲の怨人に察知される』

 すなわち、攻撃は極力避けるべきだが、高度を取れば攻撃せざるを得ない固体が増えると言う事だ。
 明らかに目視出来ないであろう靄の中からも的確に襲ってくるのは、一行が飛翔魔法や鬼道による治療術式を展開している為だ。

 もっとも、飛翔も治療も止めるわけにはいかないので、これは必要経費となる。

 

『さらに避けるべきは、怨人を殺すこと。これによってさらに広範囲の怨人に察知されてしまう』

 

 テサロが逃げに徹し、最後の攻撃でも突破口を作るだけの部位破壊に留めた理由はそこだ。

 テサロほどにもなれば怨人一体を倒す事はそう難しいことではない。だが攻撃に用いる高出力魔法と、怨人を殺害することによって受ける怨人の波状襲来は、いずれ押し切られるだろう。

 

『遠征調査の時はこの習性を利用して、陛下や殿下が余所で暴れて一帯の怨人を引きつけている間に探索するんだけどね』

 

 だが現状では絶対に避けるべきだとミグは告げる。

 

「分かりました。では高度と速度はこのままで。三時間ほどしたら北東方面へ転進します。その後、街明かりを探して正確な地点を探します」

 

 至誠の判断は賭けだ。

 北への距離が足りない場合と、東への距離が足りない場合が考えられる。
 そのため、ある程度北上した後に北東へ転進するのがもっとも無駄が少なく、両方をカバーできると考えた。

 

 もっとも、そもそも根底が狂っている場合は見当違いで破綻した論理なのだが、それを口にしてはいけないと理解していた。

 

 希望を口にする以上は、最後までそれを信じて突き進むしかない。

 

 

 そして至誠の方針に異議は上がらず、方針が決定する。

 

第二一話

『――分かった』

 

 ミグはそう返答する。
 

『リッチェ、術式の引き継ぎを』

 

 ミグの決断に、テサロは柔らかな微笑みを零す。

 

「あなたにはいつも苦労をかけますね」

 

 涙を流すことでようやく思考が戻りつつあったリッチェは、居た堪れない様に声を上げる。

 

「でっ、でも! 師匠が……」

『最優先すべきは、だよ。それ以上に重要な事は、ない』

「そうですリッチェ。はじめましょう。もう、長くは持たないでしょう」

 

 このまま見過ごす訳にはいかない――そうヴァルルーツは割って入ろうとしたが、それを事前に静止したのは至誠だった。

 

 その行為に、ヴァルルーツは怒りを覚えた。

 確かにこの至誠という人物は重要な人物なのだろう。
 それは王子たる自分など比にならない程なのだろう。

 だがテサロの行動を容認すると言う事は、すなわち見捨てるのと同義だ。
 そうなれば確かに彼の生存率は上がるのだろう。

 ――その我が身可愛さで、これほど秀でた叡智と人格を持つ淑女を見せ捨てるというのか!

 そう憤慨を感じずにはいられなかった。
 だがしかし、だからといってこの状況をひっくり返すだけの言動が思いつかない。

 ――感情論に任せて場を掻き回す事は簡単だ。

 それでは意味がなく、下手をすれば全員の命に関わる事を理解していた。

 

 ヴァルルーツの葛藤の最中、テサロは即座に襲ってくる怨人が周囲に居ない時を見計らい、飛翔に関わる術式をリッチェへ継承させる。

 

 その間に何とかリッチェは涙を押さえ込もうと奮闘していた。

 

 時間にして数分。

 

 その間に怨人の襲来はあったが、テサロは器用にそれを回避しつつ、術式の継承を続行する。

 

 そしてリッチェがそれを受け取り、飛翔魔法が受け継がれた。

 

 

「リッチェ、あとは――」

 

 

 テサロが口を開く。

 

 

 と、同時。

 

 

 

 ミグが至誠の体内から鬼道を発動させた。

 

 飛翔魔法に干渉し一時的にその影響下から脱すると、至誠の体が一気にテサロに近づき、その老いた体へとつかみかかる。

 

「何を……!」

 

 テサロが驚き言葉を漏らすと同時、自身の体に一瞬の痛みが走るのに気付いた。
 それがミグの行動だと理解出来たが、オドに汚染された体はテサロの行動を鈍らせる。

 

「これで、テサロさんが降りる時は一緒ですね」

 

 しかし最も驚いたのは至誠の投げかけたその言葉だ。

 

「テサロさんは自分の命を投げ打ってでも僕を助けようとしてくれています。ですが今それをすれば僕も死ぬ事になります。それは出来ませんよね」

 

 流血鬼は侵入した対象の体を乗っ取る事が出来る。
 故に、至誠の言葉はミグのものかとも考えた。

 しかしその雰囲気は体を乗っ取られてのそれとはまるで違う。
 すなわち、この言葉は至誠の意思によるものだ。

 

「なぜ……そのような――」

 

 その行動は、彼の命を無為に危険にさらすだけの行為だ。

 

「皆さんの僕に対しての評価が高いようで嬉しいですが、残念ながら僕は、自分が大層な人間だなんて思っていませんので」

 

 つい先ほどまでで彼は死に怯え、生き残りたいからこそ知恵を働かせていた。
 そんな彼が自ら命の危険性をはらむ行動に出るとはテサロには考え至らなかった。

 ミグの入れ知恵か――そう脳裏に過ぎったが、彼の表情を見てそれが違う事を悟る。

 

「テサロさんは言いました。『全員死ぬか、』。でも、それは間違いです」

 

 この狂気の場において、至誠はにこやかに表情を投げかける。

 

「全員死ぬか、です」

 

 至誠は、自分ではテサロを説得できないと理解していた。

 ミグの口調やリッチェの悲哀を見れば、それまで彼女達が積み上げてきた関係性の一端を見てとれる。

 それに比べて自分は目が覚めて、出会っていったいどれだけの時間が経過したのか。一日はおろか一時間だって怪しいところだ。
 そんな信頼関係で命を大事にするよう説得したところで、全く響かないのは明白だった。

 故に至誠は、自分の切れる行動カードを考える。

 テサロが身を犠牲にする最大の大義名分は『加々良至誠』という異世界人を連れて帰る事だ。
 すなわち、テサロの自己犠牲の行程において自分が巻き添えになる状況を作り出せることが出来れば、必然的にその行動が無に帰する。

 そこで至誠は、組み付きの行動カードを切ると決めた。

 だが魔法という未知の力で抵抗されれば自分など簡単に剥がされてしまう事は想像に難くない。そこで口元を隠し小声でテサロに気付かれないよう、体内に居るミグに小声で伝えておいた。
 現に組み付きが解除されないと言うことは、至誠の分からないところで首尾良くやってくれたのだと理解する。

 

「ミグ……ッ。あなたという人は……!」

 

 至誠の行動がどちらの考えであれ、その実行には高度な鬼道が必要だ。その実行犯たるミグに、テサロは不服を零す。

 

『悪いね。でもってのは嘘じゃない。この先必ずテサロの力が必要になる。だからこそだよ』

 

 テサロの脳裏に響くミグの声は、鬼道によって伝わる音声のみではなかった。この体内から伝わるこの感触は、すでに体内への侵入を許している何よりの証拠だ。

 だがすでにテサロは、ミグの鬼道で身体が強化された至誠と、体内に入り込んだミグの半身に抵抗するだけの力が残されていなかった。

 

 ヴァルルーツは浅慮を恥じた。
 この至誠という男が、自分の命のみを優先するような浅はかな男だと早計な結論を出したことについてだ。

 己は何も出来なかった。
 口では自分が犠牲になるべきだと主張しておきながら、何一つ出来ていない。

 だが彼は違った。
 口ではなく行動を以て状況を一変させた。窮地を脱する道標を示した上に、さらにテサロの自己犠牲をも食い止める最善の一手となった。

 

 ――自分はなんと拙劣せつれつなんだ。

 

 ヴァルルーツは自責の念に駆られる。
 己の無力さから目をそらすように前方へと視線を向けた。

 

 その拍子に前方より跳躍してくる怨人を捉えた。
 だがリッチェは至誠の方を向いてその脅威に気付いていない。

 

「前! リッチェ殿!! 怨人が!!!」

 

 若い女性の胴体が仰向けになっている。顔から腰まである巨大な体躯は四肢が無く、代わりに背中から人と同等の足が四本生えている。
 顔は体に対して正常に付いているが、体が仰向けなので大きく見上げるようにこちらを向け、そこに目や鼻はなく、口が顔一面に裂けるように入っている。

 そんな怨人が、まるで四足歩行動物のように跳躍していた。

 

 ヴァルルーツの叫びによってリッチェは我に返ると、怨人の口がすぐ目の前まで差し迫っていた。

 反射的に飛翔魔法を操作し、間一髪で回避する。

 

『リッチェ!! 飛翔魔法に集中して!!』

 

 ミグは檄を飛ばしつつ公言する。

 

『大丈夫!! テサロは必ず助けるから!!!』

 

 リッチェは目の前で起こった事を上手く理解出来なかった。
 感情で思考力が圧迫されていたからだ。

 しかし聞こえてきたミグの言葉は、脳裏の感情を一新する。

 ――助ける? 助かる?

 至誠の行動とミグの言葉の意味を察したリッチェは、目頭が熱くなるのを感じた。

 

「絶対……。絶対ですよっ!?」

『ああ!』

 まさに干天かんてん慈雨じうだ。
 この安堵、この高揚、この感謝を他にどのように表していいか分からない。

 だがやるべき事は分かっていた。
 随喜ずいきの涙で視野を歪ませている時ではない。

 リッチェはしっかりと前を見据えた。

 

「私もテサロ殿の近くにッ!!」

 

 声を上げたのはヴァルルーツだ。
 自分だけ何もしない訳にはいかなかった。自分がどれほど無知であり無能であろうと、今できる事があるなら何だってやるべきだ。

 そんな彼の言葉で、ミグは方針を修正する。

 

『リッチェ、編隊を変更するよ! うちはこれからテサロの治療に専念する。ヴァルルーツはテサロの体を! テサロにかけられた浮遊術式を解除してリッチェの負担軽減するけど大丈夫!?』

「大丈夫ですッ!」

 それはヴァルルーツに負担が回ってくると言うことだ。
 しかし、先ほどの浅慮を返上する機会を与えられたことにむしろ奮起し、即答した。

 

『至誠はリッチェの横へ! 星々を理解出来るのは至誠だけだ。進行方向の指示を頼む!!』

「離れても大丈夫ですか?」

『大丈夫。テサロの体はこっちで制御してるから』

「分かりました」

 

 ミグの返答を聞いて組み着きを解くと、リッチェの浮遊魔法によって再び体が補足された。

 

 周囲の怨人を警戒しつつ、リッチェは編隊を整え杖を握りしめる。
 しかしそれはすでに怯える自分を支えるためではない。

 

 そして至誠を自分の方へ引き寄せると、その手を握った。

第二〇話

「リッチェ――それでもやはり、今のあなたの実力ではこれだけの並列処理が厳しいのも事実です。せめて、一人は降りる必要があるでしょう」

「でっ、でも――」

 

 思っていたよりも遙かにオドの浸食が早い――ミグはテサロの顔の一部が黒くくすんでいる事に声を上げる。

 

『リッチェ!! 飛翔を交代して!! テサロはすぐに治療を――』

 

 しかし、テサロは襲来する怨人を片手間で避けながら、首をゆっくりと横に振り否定する。

 

「すでに体内は手に負えないほど、オドに浸食されております。すでにマナの生成が出来ない程に、です」

 

 本来テサロほどの実力者であればそう易々と汚染が進行したりしない。
 オドを分解しマナを生成する速度が極めて早く、必要以上に暴露ばくろしないように周囲のオドに干渉できる為だ。
 常に適量のオドを取り込みマナに変換する。特に大がかりな術式を用いる際には、併用してオドを取り込み量を増やし、分解を加速させマナを補充できる。

 だがその干渉が裏目に出た。

 直前まで使用していた霊術は莫大なマナとエスを消費する。それを補うために、多量のオドを吸収分解する態勢のまま不浄の地に飛ばされたことにより、過剰に暴露ばくろしてしまった。
 加えて、リッチェとヴァルルーツ、そして至誠が大量被曝しないよう、その一身で肩代わりしていたのも大きい。

 前者はテサロ自身がすぐに、後者はミグの説得で関連する術式を破棄させたが、遅かったのだと痛感する。

 

「そ……そんな……。でも……」

 

 リッチェは否定の言葉を必死に紡ごうとした。
 しかし不浄の地と怨人がもたらす狂気、加えて唯一の肉親を失う恐怖と相まって言語を上手くまとめられない。

 代わりに声を上げるのはミグだ。

 

『ダメだ!! 自己犠牲は認められない!!』

「このままでは意識も、そう長くは持たないでしょう。これではただの足手まといでしかありません。全員死ぬか、一人が死ぬか、です」

 

 テサロは耄碌もうろくとした瞳をしているが、その表情はこの先の結末をすでに受け入れようとしていた。

 リッチェは止めようとした。誰であれ自ら命を投げ捨てる事などあって欲しくない。それが尊敬する師であり親であるならば尚更だ。

 

 ――だが、言葉が出てこない。

 

 テサロ・リドレナという英傑はたぐいまれなる才覚と、屈強な意思を併せ持ち、これまでどれほど困難な環境においても結果を残してきた。

 それがリッチェの知る師の姿だ。

 だがそんな師が、自ら出した結論と結末、それを受け入れる覚悟を示している。

 

 ――止めたいのに。何としても引き留めたいのに、説得できる言葉が見つからない。

 

「それはなりません!!!」

 

 リッチェのうろたえる合間に大声を上げたのはヴァルルーツだった。

 ヴァルルーツはこの場において無力だったが、誇りがある。
 狼魔人としての誇り。王族である事の誇り。男であることの誇り。
 その矜恃は、王国を、民を、婦女子を守る為にあるのだと確信していた。

 そして今、目の前で自己犠牲すらいとわない淑女が、その身を捧げようとしている。そのような状況下で、ヴァルルーツは黙ってみていることなど出来なかった。

 

「誰かが降りるべきなら、私が降りるべきだッ!!! 足手間というのならば、私こそがその汚名に相応しいッ!!!」

 

 ヴァルルーツがリネーシャ達に謁見えっけんしたのは王国を守る為だ。
 そしてその言質はすでに取ってある。ならばすでに役目は終えているともいえる。

 だが、ここで自分の命可愛さに黙っていると言う事は、皇国への恩を仇で報ずる事だ。そんな腑抜けた王族の国など、誰が助けてくれるというのか。

 それに、皇帝陛下へ嘆願たんがんに際し自らの命すら差し出す気概で謁見した。

 

 ――覚悟なら出来ている。

 

「いけませんよ王子。賓客たる者が、それも王族がそのような――」

 

 優しく諭す様に告げるテサロだが、ヴァルルーツは言葉を遮り反論する。

 

「それは違います! 我が王国にて迎え入れた以上、あなた方が国賓であり賓客なのです! ならば、真っ先に降りるべきは私なのです!!」

 

 そこに反論の余地はない。
 テサロは間違いなくヴァルシウル王国に招かれた皇国民の一人なのだから。

 故にテサロは別の理由を挙げる。

 

「それでも、王子はまだ余力を残しておられる。必ずその力が必要になるときが来るでしょう」

「自分にできる事など、それこそあなたの身代わりとなる事くらいしかないのです!」

わたくしはもう、手遅れです。故に――」

 

 何を言ってもその意思に変わりはない――そう訴えるように語るテサロの言葉を、今後はミグが遮る。

 

『そんな事はない!』

 

 テサロの論弁は『自分が手遅れだ』という前提だ。そこが崩れれば、反論の余地はなくなる――そうミグは訴えかける。

 

『まだ間に合う。今治療すれば!』

「自分の体のことは、自分が一番よく分かっております」

 

 未だ断続的に来襲する怨人を悠々と避けてはみせるが、確かにその挙動に鈍重さが増してきている。

 

『いや分かってないね! 末席とはいえ陛下の眷属の一人として、治せると言ってるんだ!』

 

 それでもまだ今なら助けられるとミグは確信していた。

 

「しかし真なる問題は『不浄の地を踏破出来るかどうか』その達成率です。何事においても一〇〇%はあり得ませんが、わずかでも、一欠片でも可能性を上げるべきです。優先すべきは、殿なのですから」

 

 テサロの弁を覆すには達成率を向上させるための代案の提示が好ましい。
 だが今のミグにそのような案はない。

 そのうえミグがテサロの治療に当たると言うことは、その分至誠をはじめ、周囲に危険が増すと言う事だ。

 

「ミグ。あなたは至誠殿のお側にいるべきなのです。皇国に私の代わりはいても、日本人は唯一なのですから」

 

 テサロの言葉は嘘ではない。

 真情を吐露するならば「リッチェとミグにも生きて帰って欲しいから」と口にすべきだろう。
 そうしないのは、自分が身代わりになると言い出しかねないと知っているからだ。
 特に愛娘であるリッチェにそのような事は考えて欲しくなかった。親のために子が犠牲になるなど、断じてあってはならないのだと考えていた。

 

『ダメだ。許容できない』

 

 それでもなお引かないミグに、テサロは語りかける。

 

「私が生にしがみつく事はそれだけ危険を抱えると言うことです。親のわがままで、無為に子が危殆きたいに瀕する事は忌むべき事です」

 

 これまでのテサロの言葉は本心ではない。嘘はついていないが、正論によって本心を煙に巻こうとしている。しかし今の言葉は本心だと、ミグは感じていた。

 リッチェの事は生まれたときから知っていた。
 妹のように感じていたし、テサロのことは母親のように慕っていた。

 そしてなにより、リッチェが生まれる前のテサロの苦辛を知っていた。

 

『ああ分かるさ。いつか子は親を超えていく。けど屍を踏み越えさせるのは今日じゃない!』

 

 ミグに親しい者を切り捨てる判断が出来ない事を、テサロもまた知っていた。

 しかし、だからこそ、それまで平静だったテサロが声を荒らげる。

 

「あなたには分かるはずですッ!! 親よりも先に子が死ぬなど、あってはならない!! 手遅れになってからでは遅いんです!!!」

 

『だから手遅れになる前に治療をするんだ!!!』

 

 呼応する様にミグも叫び返す。

 

 リッチェは止めたかった。口論も、テサロの行動も。
 しかし、その言い交わす言葉に割って入る事が出来ず、考えのまとまらない感情が頭に止めどなく溢れる。

 ――自分で自分の感情を制御できない。

 脳裏は混乱を極め、狂気と悲嘆の入り交じった涙がこぼれ落ちる。
 咽ぶ事もなく、啜り上げる事もなく、ただただ悲涙が頬を伝う。

 その様子に、テサロとミグの言葉が遮られた。

 

 テサロは表情を綻ばせながらリッチェを柔らかく引き寄せ、腕で優しく包み込む。

 

「これからあなたは皆を牽引けんいんするのです。涙で瞳を曇らせてはなりません」

「――でっ……でも――」

 

 テサロの手はすでに黒く変色を始め、冷たくなりつつあった。
 それがリッチェの顔に触れた瞬間、感情が決壊したかのように泣きじゃくる。

 

 ミグは何と説得すべきか悩んでいると、口元を手で覆い隠した至誠が小声で話しかけてきた。

第一九話

 違う。これは心が壊れたのでも狂気に飲まれたのでもない――その判断は直感のうえ、ミグの希望的観測もあっただろう。

 だがそう思えたのは、至誠の精神状態と言動が確信めいていたからだ。
 そして何より、この窮地を脱する方法をミグ自身が思いつかない。

 

「な、なぜそのようなことが――」

 

 ヴァルルーツには分からない事ばかりだ。
 その中でも、至誠と呼ばれた彼の体内に、レスティア皇国の流血鬼が潜っていることは理解出来た。それは王国に迎え入れた際に、彼女に会っていたためだ。

 ヴァルルーツのもらす憂いにも似た言葉を、ミグが遮る。

 

「『待って!! テサロ、もっと密集させて!』」

 

 怨人の襲来をかいくぐりながら、テサロは飛翔する編隊を整える。
 テサロを先頭に、右後ろにリッチェ、左後ろにヴァルルーツを配置し、その中央に至誠を移動させる。

 

 同時に発動するのはミグの鬼道陣だ。

 

『この状態ならうちと至誠の声で混乱しない』

 

 ミグの声は至誠の口からではなく、各員の頭に直接響くようになる。

 

『それで先に確認だけど、至誠以外に現状を打開するための案を出せる人は?』

 

 だがその問いかけに声を上げる者はいない。

 

『至誠の言わんとしている事はまだ分からないけど、明確な打開策がない以上、それが唯一の手段となるかもしれない。だから、代案がない状態で進行の妨げとなる言動は避けて欲しい』

 

 余裕のない現状で無駄な時間はそぎ落としたい――そんなミグの意見に反対する者はいなかった。

 

『それからテサロはオドを一手に引き受けすぎ! 至誠はオドの影響を依然受けていない。リッチェの体質なら問題ない。王子の対策はこちらで行う。だからその術式は放棄して!』

 

 テサロの視線が至誠の体内のミグを一瞥すると、すぐに周囲を漂う魔方陣の一つが砕け散った。

 

『至誠、君の話に戻ろう。北極星と言う概念は翻訳されている。すなわち、陛下は知っている。だけど、うちは天文分野に精通していない。――知っている者は?』

「あれです」

 

 テサロは怨人の襲撃の合間に夜空を指さし告げる。

 

「あの最も明るい星が、北極星にございます」

 

 その指し示す先の星を見て、至誠は確信する。

 

「――ベガ。やっぱり……!!」

 

 それは夏の大三角形の一つ。
 琴座の中で最も明るく、日本でも有名な星だ。

 別名、織姫星。

 それはリネーシャの言っていた『遙か未来の地球』説を後押しするものだ。
 地球は自転している。そして太陽の周りを公転している。

 そしてもう一つ、『歳差運動さいさうんどう』がある。

 回転する駒が高速な間は安定しているが、勢いが衰えてくるとグラグラと全体が揺れ始める。あれと同じような動きを地球もしている。

 これによって地球の地軸は向きを変え、天の北極が変わる。

 西暦二千年代初頭ではこぐま座に位置するポラリスが北極星だった。
 しかし、もし本当に数千から数万年単位で時間が経過していれば、天の北極の位置は移り変わり、ポラリスを基準とする天文知識では大きな誤差を生じさせる。

 

 至誠はベガが北極星として再考する。
 現在のベガの高度と移転前の高度差を求めることが出来れば、どれほど緯度が変わったのかが分かるはずだ。

 問題は移転前の高度だ。
 おおよその位置は覚えている。
 しかし、できる事ならば少しでも正確性を持たせたい。

 

 ふと、ある魔法の存在を思い出す。

 

「記憶を投影する魔法を今使うことは出来ますか?」

「出来ない事は――」

 

 その問いかけにテサロは振り返り返そうとするが、ミグによって遮られる。

 

『いや、飛翔術式と併用は難しい! 怨人に喰われたら元も子もない!』

 

 テサロは飛翔に集中するように告げると、リッチェを呼び止める。

 リッチェの表情は未だ怯え影を落としていたが、ミグの意図するところを理解し、身を縮め首を横に振り否定する。

 

「わ、私にはあんな高度な魔法は、まだ――」

 

 消極的で否定的な返答を遮るようにミグが声を荒らげる。

 

『いや、やるんだ! 出来るか出来ないかじゃない!!』

 

 それでも動けないリッチェに対し、テサロは編隊の間隔をさらに狭めることで強引にリッチェを至誠に近づける。

 至誠の手がミグの意思によって動き、リッチェの腕を掴む。

 

『こっちでも補佐するから、早く!!』

 

 ようやくリッチェは首を縦に振るが、それでも表情は悲壮を色濃く残している。
 それでもやって貰わなくてはならない――そう準備段階に入るミグに対し、至誠はより良い状態になるよう注文を追加する。

 

「記憶の一部分のみを映し出して、それを維持出来ますか?」

『読み取りを継続しなくて良い分、そっちの方が助かる』

 

 至誠は内心で複雑な注文になることを懸念していたが、逆だったようで安心する。

 

 その間にも魔法の準備は進められ、しばらくして完了した。

 

 魔法陣が発動を始めると同時に、至誠は記憶を可能な限り鮮明に脳裏に浮かべる。

 襲撃時、何が起こっているかも分からない状態で見上げた夜空。
 それは一瞬の出来事で、普段ならこれほど鮮明に思い出すことは出来ないだろう。それを可能としているのは、生存本能とアドレナリンのおかげだ。

 

 リッチェは複雑な術式と不安定な精神状況によって魔法の発動に苦戦する。

 今回の調査に同行させてもらったのは、自らの志願によるものだ。
 学校を卒業したばかりの未熟者の自分が抜擢されたのは、テサロ・リドレナという英傑の娘である事と、ミグに推薦してもらった事が大きい。その経緯が、狂気の場において、瀬戸際で心をつなぎ止めていた。

 

『よし!』

 

 ミグのそんな声につられて至誠が目を開けると、目の前に思い起こした記憶が投影された状態となっていた。
 まるで立体ホログラムのような印象を受けるが、初見でない事と切羽詰まった状況によって驚きを感じる余裕はない。

 

「この星がテサロさんの言った北極星ベガです。見てください」

 

 リッチェとヴァルルーツがのぞき込むと、確かにひときわ輝く星があった。

 

「この頃は高度が高い。今は逆に下がって、地平線に近づいています!」

 

 しかしそれが何を示すのか理解出来る者はおらず、至誠は続ける。

 

「北極星の高度は緯度に等しいので、どれだけ高度が下がったかが分かれば南下した距離が計算出来ます!」

 

 ヴァルルーツには理論がさっぱり分からなかったが、移動した距離が分かるとの結論を聞いて、なんと――と感嘆の息を漏らす。

 

「測量できる機材がないので目測だと――五〇度から 六〇度でしょうか。おおよそでもいいので、誰かこの映像と、現在の北極星の高度差を測れる方は居ませんか?」

 

『至誠の言うという単位について先に確認させてくれ』

 

 ミグにはその概念は理解出来た。だが、もし会話に齟齬があれば彼の導き出す結論に誤差が生じかねないために、確認を促す。

 

「一つの円の中心を起点に、三六〇個に分割します。その一つが、一度です。なのでたとえば、半分にすると一八〇度になり、四分の一にすると九〇度になります」

『やってみるよ』

 

 角度の概念についてどこからどのように話したら良いのかわからなかったが、ジェスチャーを交え説明するとミグはすぐに理解してくれた様子で、何らかの鬼道陣を発動させる。
 至誠には鬼道については分からない。
 その仕組みも、正確性もだ。それでも今は信じて託す他になく、口頭で補足を入れる。

 

「数字の基準ですが、地平線を〇度、直上を九〇度としてください」

 

 しばらく待っていると、ミグが結果を口にする。

 

『――五六度……いや、五五度』

「現在の北極星の高度もお願いします」

『一八度』

 

 差し引き三七度。

 

 至誠はその情報を元に計算する。

 

 地球の外周がおよそ四万キロメートル。
 それを三六〇度で割ると、緯度が一度変わる毎に約一一一キロメートル移動する事になる。

 三七度でおよそ四一〇〇キロメートルちょっと。

 

 だがこれは緯度のみを考えた場合だ。

 

「ここ、北極星の回りを拡大できますか?」

 

 至誠が指さしたのはベガだけではなく、琴座を構成する星々だ。

 そしてベガを基準にした琴座の角度と、夜空にまたたく琴座の傾き具合を比較する。

 

「ミグさん、北極星と、隣のこの星を結ぶ線、その角度の差を調べられますか?」

 

 ベガの隣で琴座を構成するβ星を指さし、注文を追加する。

 

『一四……いや一五度かな』

 

 ここまで分かれば、三平方の定理で直線距離の算出が出来る。

 

 三七度の二乗で一三六九。

 一五の二乗で二二五。

 合計して一五九四。

 ルート一五九四の結果は、およそ四〇。

 四〇に一一一キロメートルをかけると、四四四〇キロメートル。

 

 すなわち、元の位置から直線距離にしてそれほど移動したと言う事だ。
 途方もない数字に思えた。これは日本の最北端から最西端の直線距離よりも長いはずだ。

 

 しかし、元の位置に戻る必要はないのだと気付く。

 

 至誠が見せて貰った世界地図では、世界は正方形に近い形をしていた。

 

「ヴァルルーツさんの国の位置ですが北方で間違いないですか?」

「あ、ああ! そうだが――」

「北のどのあたりですか?」

 話についてこられていなかったヴァルルーツは言い淀んでいると、代わりにミグが答えてくれる。

『ほぼ真北。地図で言うと上中央だよ』

 

 琴座は反時計回りに一五度回転していた。

 すなわち西へ一六六五キロメートル移動したことになる。

 リネーシャ達の話では、世界の一片はおおよそ三二〇〇キロメートルという話だった。

 つまり、このまま北上した場合に地図の西端をかすめるかどうか、となる。

 

「不浄の地との境界近くと考えて問題ありませんか?」

『問題ない』

 

 北上するだけなら四一〇〇引く三二〇〇で九〇〇キロメートル。

 わずかに内陸の地点だと言う点や、やや東寄りに飛行することも考えると、概算で一〇〇〇キロメートル前後ということになる。

 

「北北東方面に一〇〇〇キロメートル一二七四ギルクほど北上する事で不浄の地を脱出できると思います!」

 そう結論を伝えると、ヴァルルーツの顔に驚きと安堵が浮かぶ。
 だがそれもわずかな間で、すぐに疑問が脳裏を過ぎる。

 

「だがどちらが北だと――」

「北極星は常に北を指しています。それで北が分かります」

 

 リッチェ表情に、かすかな生気が戻ってきていた。それは希望が見えた気がしたからだ。

 ミグは鵜呑みにはしていなかったものの、代案が出せない以上、それに縋るしかないと腹を括る。

 

「一二七四ギルク――」

 

 唯一テサロだけが、懸念を含んだ言葉を零す。

 

「テサロさん、行けますか!?」

 

 すぐに襲ってきそうな怨人がいないことを確認し、テサロは振り返り至誠を一瞥する。しかしすぐにリッチェへと視線を移した。

 その表情は不服とも悲壮とも違う。

 

「リッチェ、よく聞きなさい。これから、あなたに術式を託します」

「えっ? ……し、師匠?」

 

 その口調が含んでいるのは、希望とも絶望とも違う。

 

「怨人は巨大で、かつ強大です。しかしその多くが直線的で単調な攻撃しかありません。リッチェ、あなたはまだまだ未熟ではあります。ですがあなたなら踏破できると信じています」

 

 テサロの声から感じるのは、だ。

 この狂気の地で、リッチェは混乱していた。
 状況が飲み込めず、理解が追いつかず、恐怖に押し潰されそうだった。

 しかしこの時のテサロの言わんとしている事だけは、なぜか即座に理解出来た。

 

「まっ、待っ――」

「良いですかリッチェ。必ず……必ず至誠殿を陛下の元へ連れ帰るのです」

『飛翔要員の交代には賛成だよ!! だけどそれ以外は許容できない!!』

 

 ミグも彼女の真意を察し、声を荒らげる。
 しかしテサロは意に介さず、をリッチェへ語りかける。

 

「リッチェ――それでもやはり、今のあなたの実力ではこれだけの数の術式の並列処理が厳しいのも事実です。せめて、一人は降りる必要があるでしょう」

第一八話

 至誠は恐怖を感じない自分に驚いていた。

 いや、まったくないと言えば嘘になるだろう。

 

 この時の至誠は夜空を見上げていた。
 端から見れば、それはまるで目の前の化け物から目をそらしている、現実から目を背けるように見えるだろう。

 

 だが至誠にとってその光景こそが唯一の知る光景だった。

 

 吸血鬼も魔女も、魔法も不浄の地も日本にはなかった。そして争いに巻き込まれ、化け物に追われる。そんな日常は日本にはなかった。

 しかし、夜空にまたたく星々は、日本で見ていた頃とまるで遜色がない。

 元々至誠は天文に興味があった。宇宙が好きだった。だからこそ見上げた夜空が日本とさして変わらない事に、強い安堵をもたらしてくれた。

 同時に、まるで夜空へ、宇宙へと吸い込まれそうな感覚を覚える。肉体から魂が解脱しそうになっているかのような、不思議な感覚だ。

 無限に広がる宇宙の広大さは、まさしく天文学的で、それに比べて地球の何とちっぽけな事か。自分がどこからやってきて、死後どこへ向かうのか。地球が誕生する前、太陽が誕生する前、宇宙が誕生する前、自分と言う概念はどこにあったのか。どこに居たのか――。

 それを考えると、無性に怖くなる。底なしの畏怖が脳を支配する。

 これは幼少の頃から持っていた感覚だ。
 同じような感覚を持つ人の多くは、そこから目をそらしていた。
 だが至誠は、だからこそ宇宙が好きだった。

 

 人が目の前で死ぬ。
 惨殺される。
 人の部位を持つ化け物に襲われる。

 なんと痛ましくおぞましいことか。

 

 ――なれども宇宙的畏怖と比較すれば小さな衝動に過ぎない。

 

 昔からそうやって至誠はメンタルをリセットしてきた。

 それが特異な思想である事は自覚していた。
 だが現に宇宙的畏怖は、脳内を急速に鮮明さをもたらす。

 

 急速にアドレナリンを分泌する事による生理現象だ。
 同時に、心身はある事に特化し始める。

 

 すなわち、闘争か逃走か。

 

 至誠の心肺を増大させ、瞳孔は開かれる。
 脳は恐怖を黙殺し、晴れ晴れとした思考が脳裏に冴え渡る。

 

 

 至誠は考える。

 

 

 それは襲撃された時――化け物怨人ではなく、魔女と呼称された者達の襲来の際だ。

 その際、確かに夜空を見上げた。

 一瞬の記憶に過ぎなかったが、アドレナリンによって最高潮に頭が回転する今なら鮮明に記憶が蘇る。

 

 その時見つけた星々は、至誠の知識と確かに多くが符合していた。

 

 例えばカシオペア座だ。
 特徴的なW状の星座は、北極星であるポラリスを探すのに用いられる。

 記憶にあったカシオペア座を手繰ると、北極星は地平線近くにある事になる。
 高度は一〇度か、あっても二〇度だろう。

 北極星の高度は緯度に等しくなる。
 つまりあの時の場所は、赤道付近の北半球である事を指し示している。

 しかし襲撃時に辺りは一面雪景色だった。
 あれほどの積雪が赤道付近の地域で見られる事があるだろうかと疑問がよぎる。

 もしも緯度の高い北国であれば、相応の高い高度に北極星がなければ辻褄が合わない。

 

 そして今はどうか。

 

 至誠が夜空を見渡すと、幸運にも雲との隙間にカシオペア座を見つけることが出来た。しかしカシオペア座そのものが地平線近くで辛うじて見える程度の高度だ。

 北極星に至っては地平線の下に潜り込んでいる。

 すなわち、現在は南半球である事が推察される。

 天の南極を探すべく反対方向へ視線を向けた。

 しかしそれらしき星座は見当たらない。
 南十字星を直に見た事はない影響もあるだろうが、雲が散見される以上、その中に隠れていてはどうしようもない。

 それでも北の空にカシオペア座が見えている以上、大きく南下したわけではない。依然、赤道線付近にいることになる。

 

 そして直上には満月が輝いている。

 同時にリネーシャの口にしていた『すでに日付も変わってしまったが――』との言葉を思い出す。

 満月で南中なんちゅうに来るとしたら二四時だ。

 

 移動元も先も緯度はほとんど変わらず赤道付近。
 月の位置から考えられる時間経過を鑑みて、経度もさほど変わらず。

 

 つまり至誠の考えが正しければ、元の位置とほとんど変わらないはずだ。

 だが、それにしては気象が違いすぎる。
 しかし目の前に広がる光景は、地平線まで続く不浄の地だ。

 不浄の地とはそういう場所なのかもしれない。
 だが少なくとも、違和感を覚えた。

 

 

 ふと、こちらの世界地図を思い出し矛盾に気付く。

 元いた王国は北国ではなかったのか。
 北極星の位置から南下したことが分かるが、地図では南に不浄の地はなかった。
 不浄の地があるとすれば王国の北側だ。しかし北に転移したのであれば、北極星の高度が高くなっていないと辻褄が合わない。

 

 論理がかみ合わない。

 

 ――そもそも異世界ならば世界の仕組みが全く違う可能性だって十分ある。

 

 行き詰まった思考を一度落ち着かせるように、至誠は再び天を仰いだ。

 

 ここが異世界であれば、月が複数あったり、巨大な月が浮いていても良いものなのに。そうすれば、もっとすんなりと異世界だと受け入れられるだろう――そんな心残りにも似た吐息を零す。

 

 見上げた夜空は、なんとも強い既視感を与えてくる。

 

 夜空で月以外にまず目を引くのは、夏の大三角形ことアルタイル、デネブ、ベガだ。

 それを基準に、はくちょう座、わし座、琴座を見て取れる。そして離れた所にカシオペア座、ペガスス座、ケフェウス座――。

 

 なんとも見慣れた星々だ。

 

 だが至誠の知る世界では、魔法もなければ吸血鬼も居なかった。

 やはりここは異世界で、自分の常識は通用しない――そう結論づける直前、リネーシャの言葉が脳裏を過ぎる。

 

『地中深くで見つかった。仮死状態で劇慟硝石――そうだな、分かりやすく表現するなら地下深くの氷層に閉じ込められている形で発見された』

『暗黒時代の住人で、悠久の時間を地下深くの氷層で眠っていたのではないか』

 

 リネーシャは三〇〇〇年以上生きていると言っていた。
 そしてその彼女すら記憶になく、記録に残っていないほどいにしえの世界に日本があったのかもしれない。それがリネーシャの提唱した暗黒時代人説だ。

 

 その説を前提に考えるならば、今見上げている天体は日本で見ていた天体と決定的に違う箇所がある。

 

 ――歳差さいさだ!!

 

 至誠の脳裏に電撃的なひらめきが過ぎった。

 と、同時に、ミグの声が脳裏に響く。

 

「『待って至誠!』」

 

 声を上げたのは至誠だった。

 ミグの声が脳裏に響き、それと同じセリフが自分の口から出る。
 それが彼女の意志によるものだと理解できたが、突然のことに一瞬驚いた。

 

「『君には酷な状況だろうが、狂気に飲まれないよう自分をしっかり持ってッ!!』」

 

 ミグは至誠の体を使って、彼を鼓舞するように声を上げた。

 至誠が怪我を負っても命をつなぎ止められるよう、経過をうかがいながら彼の体内で待機していた。
 不浄の地に転移させられるという不測の事態に遭遇してからは、何とか脱する方法がないかと思案していた。

 

 そんな最中に感じたのは、至誠の精神の変化だ。

 

 流血鬼は宿主の感情を読み取る事が出来る。細かい思考までは分からないが、少なくとも心理状態なら把握出来ていた。

 至誠が魔女の襲撃から今までに抱いた感情は、恐怖と混乱、そして不安だ。

 その衝動を緩和する術式をミグは知っていたが、ミグが動くべきは至誠の肉体的な損傷だと考えていた。戦闘中に無策に鬼道を使えば、戦況を悪化させる場合がある事を理解していたためだ。

 

 それでも彼は時間の経過と共に少しずつ落ち着きを見せつつあった。

 

 しかし、ここに来て一変する。

 

 急速に心理状態が悪い方向へ振り切れる。その心理状態は恐怖だ。
 それが間髪入れず、急速に昂ぶり活気に溢れ始める。
 それもすぐに落胆へと変わり、かと思えば昂ぶる。

 

 感情の乱高下が異常だ。

 

 このような事例にミグは心当たりがあった。
 宿主の心が壊れかけているときだ。
 現実を受け入れられず、目をそらし、全てを拒絶する事でこれ以上心が壊れないように行う防衛本能だ。

 

 だからこそ、ミグは宿主である至誠の体を使って声を上げた。

 何とか心が壊れるのを止めるために。
 そして、至誠がそのような事態に陥っているのだと、周囲に知らせるために。

 

「ミグさん」

 

 場合によっては精神作用を及ぼす術式が必要になると考えていた。
 だが至誠の語りかける口調は、落ち着き払っており、心が壊れかけているようには感じない。

 

「僕なら大丈夫です。それよりも、いくつか確認したいことがあります」

 

 何を言い出したのか、ミグには分からなかった。
 自暴自棄になったり、狂気に飲まれたりしているのかとも思った。
 しかしそのような雰囲気は、口調からも内面からも感じられない。

 

 ――いや、この状況下で平静でいられることそのものが、すでに狂ってしまった証拠かも知れない。

 

 そう考えたが、感情の浮き沈みはすでに収まっている。
 狂気に飲まれ壊れるわけでも、殻に閉じこもるわけでも、精神が分裂するわけでもない。

 

 ミグには至誠の大まかな感情、精神状況しか分からない為に、即座に判断が下せず言葉を詰まらせる。

 

 

 その間に、至誠は全員に目配りをしながら問いかける。

 

「皆さんに『北極星』あるいは『天の北極』という概念はありますか?」

 

 テサロは地上から跳躍して襲撃してきた怨人を回避する最中だったために言葉を返す余裕がない様子だ。ヴァルルーツは何を言っているのか理解出来ない様子で、リッチェは恐怖でそれどころではないらしく、誰からも答えは聞かれなかった。

 

「『待って至誠。今はそのような事を話し合っている場合じゃ――』」

 

 もしかしたらすでに狂気に飲まれ、少し前の陛下と語り合う所まで記憶が巻き戻り、状況が上手く認識出来ないのかも知れない――ミグはそんな懸念から声を上げるが、至誠の次の言葉で遮られる。

 

「それが分かれば、今の場所が特定できるかもしれません。そうすれば、どちらへどれほど向かえばいいかも分かると思うんです」

第一七話

 降り注ぐ月光は辺りに漂うもやによって、その光量を霞ませていた。

 近くに誰かがいると辛うじて分かる――その程度の視界の中で周囲はひたすらに静寂が包み込んでいる。

 

 がさごそと服のすれる音、立ち上がる際に地面を踏みしめるわずかな音だけが至誠の耳に付く。

 

 至誠には何がどうなったのか分からなかった。

 目を覚ますと見知らぬ世界に居て、命の危険にさらされたかと思えば、また知らない場所に立っていている。

 しかし少なくとも、吐き気の波は収まりつつあり、周囲を見渡す程度の余裕は生まれていた。

 

「こ……ここは?」

 

 背後からリッチェの声が聞こえた。
 振り返るとリッチェが立ち上がり、周囲を確認すべく魔法で辺りを照らし出していた。彼女もまたその表情に当惑の表情を浮かべ、声に困惑と動揺が垣間見える。

 

 その奥に倒れていたヴァルルーツも起き上がろうと甲冑を鳴らしているところだ。

 

『まずい……この事態は――』

 

 そのおりに、至誠の脳裏に言葉が響く。それがミグの声だと理解するが、間髪入れず口を開いたのはテサロだ。

 

「なんという……なんと言うことを――。何という失態――」

 

 それは誰かに向けた言葉ではない様子だ。

 

「し、師匠、無事ですか!?」

 リッチェは息苦しそうに膝をつくテサロに駆け寄る。
 いくつかの魔法陣をすでに展開しているテサロを介抱するように優しく腕で包み込み支えた。

 ヴァルルーツも周囲へ目を配りつつ、甲冑の金属音を静寂に響かせる。

 

「ここは、いったい……」

 

 呟きながら近づく様は、ヴァルルーツも状況が分かっていない面持ちだ。

 

「ここは――間違いありません。この瘴気しょうきの如き禍々しきオドの濃度……」

 

 状況を理解している様子のテサロは、その表情に憂いを浮かべながら全員を一瞥し、端的に結論を告げる。

 

「不浄の地です」

 

「えっ……」

「なっ、何ですって!? な、なぜ世界の外側に我々が――」

 

 リッチェは目を丸くし、ヴァルルーツは素っ頓狂な声を上げる。

 

 至誠は改めて周囲を見渡す。

 遠景はほとんど靄で見えない。
 視界はせいぜい数メートル、せいぜい一〇メートル程度だろう。

 足下には土塊と雪が散乱していた。
 しかしそれもこの周囲だけだ。自分たちと一緒に転移してきたと理解出来るほどに少ない。

 それ以外の周囲は見渡す限り砂利や岩石のようだ。人工物はおろか植物も見当たらない。

 今なお闇夜は一帯を包み込み、リッチェの周囲を照らす魔法とテサロの杖の周囲に浮かぶ魔法陣、そしてもやかすむ月光だけが周囲を照らし出していた。

 

「おそらく転移させられたのです。アーティファクトの効果でしょう。迂闊でした」

 

 テサロは肩で息をしながら息苦しそうに立ち上がる。

 至誠は三九八番と言っていたアーティファクトの話を思い出す。
 触ったところに転移させる。それと同等の効力を受けたということらしい。
 つまりゲームで言うところの転移魔法のようなものだと漠然と理解した。

 

「早く脱出しましょう!」

 

 元気づけるように、あるいは希望を持たせるようにリッチェがそう声を上げるが、テサロの表情は晴れる事なくひたすらに悲壮感を浮かべている。

 

「ここが何処でどちらに向かえば良いか、どれほど距離があるか分かりません。それに、怨人に見つからず進むなど不可能――」

 

「『来る!!!』」

 

 テサロの言葉を遮るように至誠は声を荒らげた。
 それが至誠の意思ではなく、自分自身が一番驚いた。
 しかし同時に脳裏へ響くミグの声によって、それが彼女の意思によるものだと理解出来た。

 

 直後、地響きにも似た轟音が響き渡る。

 

 至誠、リッチェ、ヴァルルーツの三人は反射的に音のした方向へ視線を向けるが、濃い靄と暗闇の影響で何が音源か分からなかった。

 唯一テサロだけが視線を上空へ移し、すでに魔法の発動をはじめる。

 

 直後、暗闇が増した。
 それは月光が何かによって遮られたためだ。

 光量の変化に違和感を抱いた至誠は見上げる。

 

 そしてに事に気付いた。

 

 テサロの魔法により、強制的に全員の体が浮遊を始める。同時にリッチェの魔法が、上空のそれを浮かび上がらせる。

 

 ――口だ。

 

 人間の口が大きく開き、人間と同じような――むしろ非常に整った歯並びの口だ。
 それが迫ってきている。降ってきている。天から落ちてきている。

 何より恐ろしいのはその大きさだ。

 人間の口にしてはあまりにも、あまりにも巨大だ。
 口径が十メートル以上あろうかと言う巨大な口は今にも四人を丸呑みにしようと降ってきていた。

 

 テサロは魔法を発動させると間髪を入れず爆ぜるように加速し飛翔した。

 

 その口は――巨大な口の付いた何かは地面へと衝突する。

 

 その寸前で四人は回避した。

 

 

 至誠は元いた場所へ視線を向ける。

 

 巨大な『何か』は地面を押し潰し、もぞもぞと動いている。
 わずかにでもテサロの気付きが遅れていれば、魔法の発動に支障をきたしていれば、全員丸呑みにされていたか押し潰されていただろう。

 

 そんな冷や汗の最中で、リッチェとヴァルルーツは『何か』を直視する。そのおぞましい体躯たいくを目にし、言葉と顔色を失う。

 

 至誠もまたその全身を目にした。

 

 三十メートル以上の直径があろうかという巨大なそれは、形状は饅頭のようだが、明らかに異質だと脳が理解する。

 側面に無数の目が見開き、底部に口があり、反対側には明らかに長さの比率がおかしい腕や脚がびっしりと生えている。まるで、髪の毛のようにだ。

 

 化け物――その表現がもっとも的を射ている。

 

 何より恐ろしいのは口や目、手足の様子が人の部位そのものだったことだ。

 

 まだ特撮怪獣のような外観をしているなら、恐ろしい巨大生物との恐怖だけで済んだだろう。
 だが人の部位で構成される化け物はその恐怖に加え、身の毛がよだつ忌避感を与えてくる。

 

 しかしその動きは鈍重で、テサロの飛翔には追いつける気配を見せなかった。

 

 現に、靄によって見えなくなる程の距離がすでに開いている。

 

 地上一〇〇メートルほどの位置まで上昇すると、テサロは三人の体勢を水平に整えた。

 突如出現した謎の危機は脱した――そんな心境からリッチェとヴァルルーツの表情に安堵が浮かんだ。

 

 

 直後。

 

 

 地上の靄の中から突然何かが伸びる。イカの足のような触手だ。

 

 だがよくよく見ると細かく関節がり、それが上腕と前腕が無数に繋がった部位だと理解出来る。
 さらにその腕周りにはタコの吸盤のような人の口が並んでいる。
 加えてその周りに指がびっしりと生えている。まるで加えた獲物を押さえつける為のように。

 

 その触手が地上から十本以上出現し、明らかに一行を捕獲しようと迫ってくる。

 

 しかしテサロは触手の隙間を縫うように飛翔すると、その全てを回避する。

 触手の範囲外へ抜ける際、化け物の全容を目にした。
 巨大な人の生首が地面から生えているが、目や口は本来の位置にない。
 最も巨大な口が頭頂部にあり、その周囲から触手の様な腕が生え、さらに巨大な眼球が冠のように周囲を囲んでいる。

 

 ヴァルルーツはその触手の手が届かない距離まで脱した事を目に留めると、再び安堵した。

 

 だが休む暇は与えられず、前方からのっそりと巨大な化け物が起き上がる。まるで高層ビルの如き巨大なそれは、ムカデのような構造をしていた。

 節があり、そこから一対の脚が生え、それが無数に連なっている。

 だがムカデと明確に違うのは、その節一つ一つが人間の頭部だという事だ。
 その全てに老若男女の違いがあり、低くかすれたうなり声や、甲高く耳に付く叫び声をそれぞれの頭部が発し始める。
 全てのが仰向けに接続していたが、唯一、最前の部位だけが前方を向いており、若い女性の面持ちがテサロ達を視界に捉える。

 テサロが避けるように転進すると、その巨大ムカデのような化け物は再び身を屈め、凄まじい早さで地面を這いずり大量の土埃を上げながら追いかけてくる。

 

 「な、何なんだこいつら!!!」

 

 たまらずヴァルルーツが叫んだ。

 

「これが怨人えんじんです。特に不浄の地の奥地では、巨大で強大な個体が多く――」

 

 そう教えてくれるテサロの言葉は弱々しく、疲労をうかがわせる。

 

「くそッ! くそったれッ!! これが世界の外側なのか!!」

 

 気が狂いそうだ。いっそのこと狂ってしまえば楽になるのかも知れない――そんなヴァルルーツの声音は震え絶望し、今にも正気を失いかねないような悲痛な叫びを上げる。

 

 リッチェは声を上げる事すら出来ない様子で、その手にした杖を強く握りしめなんとか震える自分をなんとか抑えようとしている。
 それでも体は大きく総毛立つのを表すように震え、表情は慄然りつぜんとし、目には絶望が色濃く漏れていた。

 

 平和な日本で育った至誠にとって、命の危険が差し迫った経験などなかった。
 だからこそ先般の襲撃では取り乱し、嘔吐おうとする程の恐怖にさいなまれた。

 

 しかし何故か。何故だろうか。

 

 このときの至誠は、恐怖を感じない自分に驚いていた。