第三話

 夏の蒸し暑い熱気が部屋を駆け抜ける。

 アスファルトが少なく木陰の多い田舎は、都会のそれと比べるといくぶん過ごしやすい。

 そうはいっても、やはり暑いものは暑い。
 エアコンのない古民家では、風鈴と扇風機によってなんとか涼みを得ている状態だ。

 だが部屋に充満する熱気は、猛暑だけが理由ではない。

 額に汗をしながらも限られた夏休みを有意義に謳歌すべく、彼ら彼女らはソレに熱中していた。

 

「おーい、至誠。至誠!」

 

 ぼんやりとした頭にそんな友人の声が届く。

 

「ん?」

 

 ふと我に返ると、今日集まった六人のプレイヤーが至誠の方を見ている。

 

「……ああ! ごめん、ちょっとぼーっとしてた」

「頼むぜキーパー」

「えっと、どこからだっけ……。ああ、ここのロール処理がまだだったね――」

 

 それは、有り触れた日常だ。

 夏休みに友達と集まってわいわいと遊ぶ。
 ただそれだけの充実した時間だ。

 遊び方は様々だ。
 テレビゲームだけに限らず、ボードゲームやカードゲームにも興じる。

 特に最近人気なのがTRPGテーブルトークロールプレイングゲームだ。
 定められた道筋を辿るだけのデジタルのRPGロールプレイングゲームには不可能な自由な選択肢や行動は、時に予測不可能な展開を迎えたりする。

 プレイヤーである友人には生粋のゲームオタクも居れば、勉強が出来る奴もいる。無口なのも居れば、マイペースな奴もいる。モテる奴に、喧嘩が強くて半分不良みたいな奴もいる。

 だからこそ、それぞれが全く違った行動に出る。
 だからこそ、大いに盛り上がる。

 

 TRPGは、至誠のお気に入りのひとつだ。
 キャラクターになりきるロールプレイは、最初こそ羞恥心があったものの、慣れてくるとむしろ演じることが非常に楽しく感じていた。

 しかしながら、最近はよくキーパーをしている。

 キーパー、あるいはゲームマスターという立ち位置が一番自分の性に合っている気がしていた。
 プレイヤーとどちらが楽しいかと言われれば、また違った楽しさなので比較は難しいと答えるだろう。

 それでも高頻度でキーパーをするのは、他にキーパーを得意とする人が身近に居なかったためだ。

 

 個性的な友人たちをまとめるのはなかなかに大変だ。

 

 TRPGでは途中でシナリオが崩壊したり、収拾が付かなくなったりすることもある。

 至誠はそんな状況で、柔軟にかつ臨機応変に物事を軌道修正するのが得意だった。

 それは姉と妹に挟まれ育ったせいかもしれない。
 小さい頃から間を取り持ったり、関係を仲介することをやってきた賜物たまものだろう。

 故に、至誠がキーパーをする事が友人間で定着しつつあった。

 

 

 ――それで今日はこのシナリオで……

 

 ――あれ?

 

 ――今日は何のシナリオをやってるんだっけ?

 

 ――どこまで何をやったんだっけ?

 

 ――あれ、僕は……

 

 

 

 

 

 ふと重力を感じた。

 同時に意識が現実に引き戻され、まぶたが開かれると、視界を脳が認識する。

 

 ――夢?

 

 そう思っていると、近くにいた老女が声をかけてくる。

 

「お目覚めですか?」

 

 テサロと呼ばれていた女性だ。

 テサロはいち早く目覚めに気付き、奥ゆかしく声をかけていく。

 

 至誠は寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりと体を起こす。

 

 ――こっちが現実、か。

 

 真っ先に脳裏を過ぎったのは、そんな落胆だった。

 もしかしたら夢が覚めて有り触れた日常に戻るのではないか――そんな淡い期待があったのは間違いなかったからだ。

 

「いつの間に寝てたんだろ――」

 

 独り言のつもりで、誰かに問いかけたつもりはなかった。
 しかしテサロはお淑やかな口調で教えてくれる。

 

「半日ほど眠られておりましたよ」

 

 えっ――と、驚きの言葉を漏らし、数間沈黙が流れる。

 

「そんなに、ですか?」

 

 再度確認するように問いかけると、「はい」と、テサロはしわくちゃな顔を破顔させた。

 間髪を置き、テサロは部屋の奥にいた執事らしき男性に声をかける。

 

「スワヴェルディさん、白湯をお願いします」

「承りました」

 

 スワヴェルディは部屋の端にある水場から白湯を入れ、至誠に歩み寄ってくると、木星のコップに入れられた白湯を差し出してくる。

 

「どうぞ」

 

 白湯を受け取ろうと、無意識下で手を伸ばす。

 その拍子に、体が軽くなっていることに気がついた。

 もう震えることもない。
 十分に筋力も戻ってきている。

 むしろ違和感のない事に、逆に違和感を抱いてしまう。

 

「だいぶ回復されたようですね」

 

 完治まであと半日ほどかかる――眠りに落ちる前に、そんな会話があったのを思い出した。

 

「もう体は大丈夫……なんでしょうか?」

 

 白湯を飲みきると、至誠は自分の体を軽く触診しつつ問いかける。

 

「ええ。肉体としての損傷は問題ないようですし、意識もはっきりしている様子です。ですが念のため改めて検査をいたしましょう。立っていただいてもよろしいですか?」

 

 差し出された手に引かれ、至誠はベッドの横に足を下ろす。

 すぐに腰に力を入れて立ち上がるが、自らの体に違和感は感じられず、強いて言うなれば寝過ぎた時の気怠さを感じる程度だ。

 そう、体はその程度の違和感しかない。

 

 しかし至誠はその身なりに首を傾げる。
 まったく身に覚えのない服を着ていたためだ。

 

 肌着は黒色でタートルネックの様な形状をし、シルクのような肌触りをした薄い生地だ。
 その表面には何かしらの紋様が無数に描かれている。
 その模様はかすかな光をちらつかせているが、光源となり得るようなものは見当たらない。

 ズボンも同様に黒色で統一されているが、ジーンズのように厚い生地だ。
 こちらにも模様が刻まれ、微かに光が漏れ出ている。

 靴や靴下は履いておらず、素足が床のひんやりとした温度を認識する。

 

 明らかに至誠の持っている服ではなく、また心当たりもなかった。

 

「少々失礼しますね」

 

 そうテサロは壁に立てかけてあった杖を手にすると、その身の丈以上はあろうかという杖の先端を至誠にそっと向ける。
 その杖は体の支えの為の杖ではないようだ。
 改めて見ても、老人が持つ杖よりも明らかに長く、仰々しい程までの装飾が成されている。

 

 それはまるでゲームで登場する魔法の杖のようだとすら思えた。

 

 杖の先端にある装飾、その周囲に光源が現れる。
 それは何かしらの図形を描いているようだった。

 魔法陣と呼ぶべきかもしれないそれは、至誠の頭上にも出現する。
 土星の円環のようなその光源は、頭頂部から足下に向けてゆっくりと降下し、再び戻っていく。

 まるでCTスキャンを可視化したかのように思えるそれは、一往復すると元から存在していなかったかのように空気中に霧散し、そして消えた。

 

「問題は無さそうですね。試しに軽く歩いてもらってもよろしいですか?」

 

 至誠にとっては依然として状況が飲み込めていない一面はあったが、今はひとまずその言葉に従うことにした。

 

 壁まで歩くわずかな時間で考えるのは、最初に見た不思議な光景はやはり夢ではなかった――という再認識だ。

 もしこれがゲームであれば、魔法と呼ぶのが最も腑に落ちる現象だ。
 しかし、それはあくまで非現実なのだとする常識が受け入れることを阻む。

 

 部屋は十数畳ほどの広さで、確かに広いが少し歩けばすぐに壁まで到達した。

 床や壁はコンクリート製でも木材でも、壁紙のような建材も使われていないようだ。
 自然の岩肌がもっとも近いが、床も壁もでこぼこしておらず綺麗に整地されている。

 壁に手を触れてみるが、やはり食感も岩のそれに至誠は思えた。

 

「ありがとうございます」

 

 テサロは笑みと共に述べると、すぐにスワヴェルディの方へ視線を向ける。

 

「食事に致しましょう。支度をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「承りました」

 

 誠実さあふれる返事と共に、スワヴェルディは間を置くことなく踵を返し、そして部屋から出て行く。

 

「こちらでお食事は少々野暮ですので、別の部屋に致しましょう。こちらへ」

 

 テサロは至誠に近づくと、そう手を差し伸べる。

 

「あの、ここは――いえ、何故――」

 

 何故こんな所に居るのか。
 ここは何処なのか。
 そもそも何故急に言葉が通じるようになったのか。
 先ほどの光は一体何なのか。

 何から口にすべきか混乱し言葉を窮していると、テサロがゆったりとした動作で至誠の方へ一歩踏み込み、しわくちゃな手を頬へそっと添えた。

 

「不安や戸惑い、恐怖もある事でしょう」

 

 肌から温もりが伝わってくる。
 その手には祖母を思い出すゆかしいぬくもりがあり、至誠の思考に落ち着きをもたらしてくれる。

 

「私どももなぜ貴方がここに居るのかまだ分かっていません。しかしシセイ殿は瀕死の状態から命を取り留めました。まずはその事を喜びましょう」

 

 事情が分からないのはお互い様だ。
 改めてその事を自覚し、ここで彼女を問い詰めても仕方ないと再認識する。

 至誠の表情がほころんだのをみて、テサロもつられるように破顔しつつ、ひとつの提案を口にする。

 

「空腹は思考を悪い方へ傾けます。まずはお食事にしましょう。お腹が満たされれば、多少なりとも心も満たされます」

 

 焦りは禁物――そう言っているかのようだった。

 脳裏に過ぎったのは祖父がよく使っていた諺だ。
 ――急いては事を仕損じる。

 

「はい」

 

 至誠は落ち着いた口調で同意し、そのしわくちゃな手を取った。

 

 

 木製の片開きな扉を手前に引くと、その先には非常階段のような階段が長く上に続いていた。
 だがそれらはコンクリート製でも鉄筋製でもない。
 この足場も岩肌を直接削って出来たかのような石階段だ。
 手すりはなく、トンネルのように均等に並んだ光源が、淡く足下を照らしていた。

 

 テサロの手にひかれ、至誠もその石階段を上る。

 

 数十段上ると、再び扉が見えてくる。無骨な金属製の扉だった。

 いかにも重厚そうな扉は見かけに反し、テサロが軽く触れるとまるで自動ドアかのように奥へと開いた。

 

 トンネルのような石階段を抜けると、壁に蝋燭台が均等に挿げ付けられた廊下に出る。

 床は研磨された石畳。
 その上に深紅の絨毯がひかれ廊下を通り抜けている。
 壁は石レンガが積み上げられて作られており、一見すると外国の古城のような風情だ。

 

 扉が閉まる音に反応し思わず至誠は振り返った。
 自動ドアのように勝手に閉まった扉に思わず息をのんだ。
 その扉には不気味な紋様と見たことのない文字が記され、それが扉を中心に壁に浸食するかのように伸びている。

 その何れにも知っている部位はなかったが、扉の中央に鎮座しているひときわ大きな模様は、まるで閉じられた瞳のようだった。

 

「あちらに食事の取れる円卓がございます」

 

 さらにテサロに手を引かれ、廊下を渡りいくつかの分岐を抜け扉の前に到着した。

 再び不気味な紋様に出迎えられるかと内心予想していたがそのような事はなかった。
 普通、とは言い難い。
 だが不気味さはなく、装飾され高級感すら感じる両開きの扉だ。

 

 扉を開け中を見渡す。

 

 廊下と同様に石レンガ作りの壁に石畳の床。

 壁沿いの設置された蝋燭台もその部屋を照らしていたが、何より中央に付けられたシャンデリアの様に装飾された光源が部屋を明るく照らし出している。
 だが蝋燭では無い。
 かといって電球やLEDとも違う。光を放つ鉱石の様なもので装飾されている。

 

 床には高そうな毛皮が敷かれ、部屋中央に十数人座れそうな円卓が鎮座している。
 そこはただの部屋ではなく、迎賓室と表現した方が的確だろう。

 

 そんな光景に見とれているとテサロに円卓の近くまで手を引かれる。
 不意に手が離れたかと思うと、椅子を引き座ることを促してくる。

 

「それでは私はこれより皆様方を呼んで参ります故、少々失礼いたします。何か必要な物がありましたら、まもなくスワヴェルディさんが来られると思いますので彼の方に言いつけ下さい」

 

 座るのを確認するとテサロは一礼をし、年を思わせぬ軽い足取りで出て行った。

 

 至誠は一人だだっ広い迎賓室に取り残される。

 今一度改めて辺りを見渡す。壁には豪華に縁取られた絵画や装飾が並ぶ。窓はいっさい見当たらない。

 ある一角に、中世ヨーロッパを彷彿とさせる様な鎧や甲冑が何体か立っていた。

 至誠は西洋の武具に詳しくはない。
 せいぜいゲームや漫画で見知っている程度の知識と、TRPGのシナリオを作る際に調べてかじった程度だ。

 そんな偏った知識だったが、わずかに違和感を覚える。

 人の体型に合うように造られている事は間違いないのだろうが、脚部が人の脚の形状と違う。これではまともに動けないのではないか――そんな印象を受けた。

 

 しかし装飾用ならば問題ない様子で、人形の木枠に設置され動く気配はない。

 

 その横には額に飾られた剣のような武器らしき代物も飾られている。サーベル状の曲がった剣が多い。
 その平地には文字らしき模様が刻まれていたが、読むことはできなかった。

 

 他に書架が並んだ一画があった。その様相も古めかしい印象を受ける。

 その背表紙が気になった。小さな文字を見ようと注視してみる。
 視力には自信があった。何せ覚えている限り視力検査で2.0を下回ったことがない。
 その視力を持ってすると離れたところからでも背表紙に書かれた文字を見ることは容易だった。

 

 だがその何れもまるで見覚えが無い文字ばかりだ。

 

 椅子から立ち上がり、その書架へ近づいてみる。

 改めて見ても全く知らない文字だった。
 丸みを帯びた文字はいったい何を意味しているのか皆目わからない。

 日本語ではないのは当然として、英語や類似したヨーロッパ諸国の文字も見当たらない。
 ロシア語は詳しくないが、顔文字に使えそうな文字が一切見当たらない為にそれらの言語でもない気がする。

 

 試しに何冊か手にとって見るが、当然のように本文も解らない文字だらけだった。

 

 深く考えると不安を増長するだけにしかならない。そうと思った至誠は考えるのを止め、書籍を元の位置に戻した。

 

 一呼吸おいて、視線を周囲に散らす。

 

 すぐ近くの額に地図のような物があった。

 歩み寄ってみるとゲームに使われるような古地図が二種類飾られている。

 そこに書かれた文字も同じく理解できない。
 それでも、もしかしたら地図の地形と記憶にある地理が符合するかも知れない。そう考え、よく観察してみる。

 右が大きい縮尺の地図のようだ。
 そのシルエットが左の地図に小さく描かれている。

 右は都道府県のような地図だろうか。ならば左の地図は国内の地図かもしれない。仮にそうだとすると、この地域は国の真北に位置にしているようだ――などと漠然とした考えが脳裏をよぎる。
 

 左の地図は中央に大きな湖らしき図があり、その周りを陸地が続いている。
 しかし、地図の端――陸地の端が何故か覆い隠すかのようにデフォルメされた雲で覆われている。

 なぜそうなっているのかを考えたが、どれもよけいな非現実的な発想ばかりに行き着いてしまう。

 そして至誠はテサロの提案を思い出す。

 

 ――たしかに、空腹は悪い方に思考が偏るのかも知れない。

 

 小さく吐息を戻すと、おとなしく席で待っていよう――と結論づけ、踵を返した。

 

 その視線移動の最中、床に乱雑に積み上げられた書物がある事に気付いた。
 しかし視線が引き寄せられたのはその隣のある物だ。

 

「これは――」

 

 まるで時代劇のドラマや漫画の中で見るような代物がそこに存在していた。

 

 日本刀だ。

 

 鎧もサーベル剣も馴染みのない中に日本文化の一端がある事で至誠に少しばかりの安堵感を覚える。

 至誠は日本人だが日本刀を扱ったことがない。
 日本刀と言えば、過去の歴史的な遺物か時代劇の小道具、あるいはゲームや漫画で使われる武器の一つくらいの認識だった。

 だがなぜだろうか。

 安堵感を抱いたからだろうか。

 その真意は自分でも分からなかったが、至誠はそれに触れたいという欲求が心の奥底に芽生えていた。

 

 ――これは日本刀だが自分の所有物ではない。

 

 ――勝手に扱うのははばかられる。

 

 そう頭で理解していた。

 だが同時に、少しだけでもそれに触れる事が心の平穏に繋がるように思えて仕方がなかった。

 

 至誠は唾を飲み込むと、おそるおそる手を伸ばす。