第二一話

『――分かった』

 

 ミグはそう返答する。
 

『リッチェ、術式の引き継ぎを』

 

 ミグの決断に、テサロは柔らかな微笑みを零す。

 

「あなたにはいつも苦労をかけますね」

 

 涙を流すことでようやく思考が戻りつつあったリッチェは、居た堪れない様に声を上げる。

 

「でっ、でも! 師匠が……」

『最優先すべきは、だよ。それ以上に重要な事は、ない』

「そうですリッチェ。はじめましょう。もう、長くは持たないでしょう」

 

 このまま見過ごす訳にはいかない――そうヴァルルーツは割って入ろうとしたが、それを事前に静止したのは至誠だった。

 

 その行為に、ヴァルルーツは怒りを覚えた。

 確かにこの至誠という人物は重要な人物なのだろう。
 それは王子たる自分など比にならない程なのだろう。

 だがテサロの行動を容認すると言う事は、すなわち見捨てるのと同義だ。
 そうなれば確かに彼の生存率は上がるのだろう。

 ――その我が身可愛さで、これほど秀でた叡智と人格を持つ淑女を見せ捨てるというのか!

 そう憤慨を感じずにはいられなかった。
 だがしかし、だからといってこの状況をひっくり返すだけの言動が思いつかない。

 ――感情論に任せて場を掻き回す事は簡単だ。

 それでは意味がなく、下手をすれば全員の命に関わる事を理解していた。

 

 ヴァルルーツの葛藤の最中、テサロは即座に襲ってくる怨人が周囲に居ない時を見計らい、飛翔に関わる術式をリッチェへ継承させる。

 

 その間に何とかリッチェは涙を押さえ込もうと奮闘していた。

 

 時間にして数分。

 

 その間に怨人の襲来はあったが、テサロは器用にそれを回避しつつ、術式の継承を続行する。

 

 そしてリッチェがそれを受け取り、飛翔魔法が受け継がれた。

 

 

「リッチェ、あとは――」

 

 

 テサロが口を開く。

 

 

 と、同時。

 

 

 

 ミグが至誠の体内から鬼道を発動させた。

 

 飛翔魔法に干渉し一時的にその影響下から脱すると、至誠の体が一気にテサロに近づき、その老いた体へとつかみかかる。

 

「何を……!」

 

 テサロが驚き言葉を漏らすと同時、自身の体に一瞬の痛みが走るのに気付いた。
 それがミグの行動だと理解出来たが、オドに汚染された体はテサロの行動を鈍らせる。

 

「これで、テサロさんが降りる時は一緒ですね」

 

 しかし最も驚いたのは至誠の投げかけたその言葉だ。

 

「テサロさんは自分の命を投げ打ってでも僕を助けようとしてくれています。ですが今それをすれば僕も死ぬ事になります。それは出来ませんよね」

 

 流血鬼は侵入した対象の体を乗っ取る事が出来る。
 故に、至誠の言葉はミグのものかとも考えた。

 しかしその雰囲気は体を乗っ取られてのそれとはまるで違う。
 すなわち、この言葉は至誠の意思によるものだ。

 

「なぜ……そのような――」

 

 その行動は、彼の命を無為に危険にさらすだけの行為だ。

 

「皆さんの僕に対しての評価が高いようで嬉しいですが、残念ながら僕は、自分が大層な人間だなんて思っていませんので」

 

 つい先ほどまでで彼は死に怯え、生き残りたいからこそ知恵を働かせていた。
 そんな彼が自ら命の危険性をはらむ行動に出るとはテサロには考え至らなかった。

 ミグの入れ知恵か――そう脳裏に過ぎったが、彼の表情を見てそれが違う事を悟る。

 

「テサロさんは言いました。『全員死ぬか、』。でも、それは間違いです」

 

 この狂気の場において、至誠はにこやかに表情を投げかける。

 

「全員死ぬか、です」

 

 至誠は、自分ではテサロを説得できないと理解していた。

 ミグの口調やリッチェの悲哀を見れば、それまで彼女達が積み上げてきた関係性の一端を見てとれる。

 それに比べて自分は目が覚めて、出会っていったいどれだけの時間が経過したのか。一日はおろか一時間だって怪しいところだ。
 そんな信頼関係で命を大事にするよう説得したところで、全く響かないのは明白だった。

 故に至誠は、自分の切れる行動カードを考える。

 テサロが身を犠牲にする最大の大義名分は『加々良至誠』という異世界人を連れて帰る事だ。
 すなわち、テサロの自己犠牲の行程において自分が巻き添えになる状況を作り出せることが出来れば、必然的にその行動が無に帰する。

 そこで至誠は、組み付きの行動カードを切ると決めた。

 だが魔法という未知の力で抵抗されれば自分など簡単に剥がされてしまう事は想像に難くない。そこで口元を隠し小声でテサロに気付かれないよう、体内に居るミグに小声で伝えておいた。
 現に組み付きが解除されないと言うことは、至誠の分からないところで首尾良くやってくれたのだと理解する。

 

「ミグ……ッ。あなたという人は……!」

 

 至誠の行動がどちらの考えであれ、その実行には高度な鬼道が必要だ。その実行犯たるミグに、テサロは不服を零す。

 

『悪いね。でもってのは嘘じゃない。この先必ずテサロの力が必要になる。だからこそだよ』

 

 テサロの脳裏に響くミグの声は、鬼道によって伝わる音声のみではなかった。この体内から伝わるこの感触は、すでに体内への侵入を許している何よりの証拠だ。

 だがすでにテサロは、ミグの鬼道で身体が強化された至誠と、体内に入り込んだミグの半身に抵抗するだけの力が残されていなかった。

 

 ヴァルルーツは浅慮を恥じた。
 この至誠という男が、自分の命のみを優先するような浅はかな男だと早計な結論を出したことについてだ。

 己は何も出来なかった。
 口では自分が犠牲になるべきだと主張しておきながら、何一つ出来ていない。

 だが彼は違った。
 口ではなく行動を以て状況を一変させた。窮地を脱する道標を示した上に、さらにテサロの自己犠牲をも食い止める最善の一手となった。

 

 ――自分はなんと拙劣せつれつなんだ。

 

 ヴァルルーツは自責の念に駆られる。
 己の無力さから目をそらすように前方へと視線を向けた。

 

 その拍子に前方より跳躍してくる怨人を捉えた。
 だがリッチェは至誠の方を向いてその脅威に気付いていない。

 

「前! リッチェ殿!! 怨人が!!!」

 

 若い女性の胴体が仰向けになっている。顔から腰まである巨大な体躯は四肢が無く、代わりに背中から人と同等の足が四本生えている。
 顔は体に対して正常に付いているが、体が仰向けなので大きく見上げるようにこちらを向け、そこに目や鼻はなく、口が顔一面に裂けるように入っている。

 そんな怨人が、まるで四足歩行動物のように跳躍していた。

 

 ヴァルルーツの叫びによってリッチェは我に返ると、怨人の口がすぐ目の前まで差し迫っていた。

 反射的に飛翔魔法を操作し、間一髪で回避する。

 

『リッチェ!! 飛翔魔法に集中して!!』

 

 ミグは檄を飛ばしつつ公言する。

 

『大丈夫!! テサロは必ず助けるから!!!』

 

 リッチェは目の前で起こった事を上手く理解出来なかった。
 感情で思考力が圧迫されていたからだ。

 しかし聞こえてきたミグの言葉は、脳裏の感情を一新する。

 ――助ける? 助かる?

 至誠の行動とミグの言葉の意味を察したリッチェは、目頭が熱くなるのを感じた。

 

「絶対……。絶対ですよっ!?」

『ああ!』

 まさに干天かんてん慈雨じうだ。
 この安堵、この高揚、この感謝を他にどのように表していいか分からない。

 だがやるべき事は分かっていた。
 随喜ずいきの涙で視野を歪ませている時ではない。

 リッチェはしっかりと前を見据えた。

 

「私もテサロ殿の近くにッ!!」

 

 声を上げたのはヴァルルーツだ。
 自分だけ何もしない訳にはいかなかった。自分がどれほど無知であり無能であろうと、今できる事があるなら何だってやるべきだ。

 そんな彼の言葉で、ミグは方針を修正する。

 

『リッチェ、編隊を変更するよ! うちはこれからテサロの治療に専念する。ヴァルルーツはテサロの体を! テサロにかけられた浮遊術式を解除してリッチェの負担軽減するけど大丈夫!?』

「大丈夫ですッ!」

 それはヴァルルーツに負担が回ってくると言うことだ。
 しかし、先ほどの浅慮を返上する機会を与えられたことにむしろ奮起し、即答した。

 

『至誠はリッチェの横へ! 星々を理解出来るのは至誠だけだ。進行方向の指示を頼む!!』

「離れても大丈夫ですか?」

『大丈夫。テサロの体はこっちで制御してるから』

「分かりました」

 

 ミグの返答を聞いて組み着きを解くと、リッチェの浮遊魔法によって再び体が補足された。

 

 周囲の怨人を警戒しつつ、リッチェは編隊を整え杖を握りしめる。
 しかしそれはすでに怯える自分を支えるためではない。

 

 そして至誠を自分の方へ引き寄せると、その手を握った。